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数学(算数)・素数にまつわる話題から、やや専門的な「整数論」「数論幾何学」「代数幾何学」のような話題。「フェルマーの最終定理」、「ポアンカレ予想」の解決の「証明」の理解など、夏休みの研究の話題など、小中高から一般までの話題、「ABC予想」、「リーマン予想」の周辺など 「志村多様体」「保形表現」

日本の数学者 など

数学(算数)・素数にまつわる話題から、やや専門的な「整数論」「数論幾何学」「代数幾何学」のような話題。「フェルマーの最終定理」、「ポアンカレ予想」の解決の「証明」の理解など

数学者 【世界を驚かせた日本人】岡潔氏 三大問題を解決し世界を驚愕させた大数学者

数学者 【世界を驚かせた日本人】岡潔氏 三大問題を解決し世界を驚愕させた大数学者 
数学 超難問

  岡潔(おか・きよし、1901~78年)は、多変数解析関数の分野で世界的業績をあげた大数学者である。この分野における三大問題を全て独力で解決し、世界の数学者を驚嘆させた。36年以来、フランス語で論文を発表していったが、ヨーロッパの数学者たちはその独創性に驚き、「オカ・キヨシ」を日本の若い数学者の集団ではないかと疑ったほどだった。

 岡は60年に文化勲章を受章し、63年にはエッセー集『春宵十話』を出版、現代日本の心の荒廃を鋭く批判する警世家として注目を集めるようになる。明治維新以来の唯物論的近代合理主義を批判すると同時に、特に敗戦後のエゴイズム肯定と物質主義的繁栄を、仏教でいう「餓鬼道・畜生道に陥ったもの」として否定し、日本人の古来の純粋な心のありようを取り戻すべきだと訴えた。

 近代産業の基礎をなすのは物理学などの自然科学だが、この自然科学の基礎をなすのが数学である。日本は、欧米以外で唯一、独創的数学者を多数輩出してきた国である。アジア出身の数学者がいないわけではないが、彼らは皆、先進国の大学に所属している。

 日本には和算という独自の数学が存在した。その最高峰といわれる関孝和(せき・たかかず、1640~1708年)は江戸中期に方程式・行列式の理論を構築したうえ、ニュートンやライプニッツと同時期に微積分学の基礎を打ち立てた。日本人のDNAには確かに数学の才能が存在する。

数学界にはフィールズ賞という4年に1度、40歳以下の優れた数学者に与えられる賞がある。ノーベル賞を上回るとも言われる最高の栄誉を受賞した日本人数学者は、小平邦彦(こだいら・くにひこ、1915~97年)、広中平祐(ひろなか・へいすけ、31年~)、森重文(もり・しげふみ、51年~)と3人いる。

 小平は、岡の業績をいち早く取り入れ、広中も岡から貴重なアドバイスを得て、これがフィールズ賞受賞の業績となった。

 また、第1回ガウス賞(2006年)受賞の名誉に輝いたのが伊藤清(いとう・きよし、1915~2008年)である。伊藤の確率解析の業績は、20世紀における主要な数学的革新の1つであり、物理学・工学はもとより、生物学・経済学から金融工学にも応用されている。ガウス賞は、数学的業績が数学以外の広汎な分野に多大の影響を与えた数学者を顕彰するためのもので、受賞は4年に1度である。

 フェルマーの最終定理やポアンカレ予想は証明されたが、現代の数学に未解明のまま残された問題のうち、最重要といわれているのが整数の理論「ABC予想」である。

 京大教授の望月新一(もちづき・しんいち、1969年~)は2012年9月、「ABC予想」を証明する論文をインターネット上で公開し、世界を驚かせた。今、世界中の専門家がこの証明の正しさを判定する査読を行っている。

 数学は最新の科学技術の進歩を促す原動力である。まして、ITは数学の直接の応用分野である。工業国・日本を根底で支える日本の数学者たちの挑戦は続く。

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 フェルマーの最終定理も「日本人」

(谷山・志村予想 の志村五郎(志村理論の志村多様体、志村ゼータ関数・・・)、ワイルズの解決理論に「岩澤理論」の岩澤健吉)

フェルマーの最終定理 の歴史 (証明までの流れ)


概要
定理の主張は非常に簡単であり、

「方程式 xのn乗+yのn乗=zの乗 が n≧3 の場合、 x,y,zは0でない自然数の解を持たない」
というものである。

この定理が産声を上げたのは17世紀。フランスの数学者ピエール・ド・フェルマーが、彼の愛読書である『算術』(ディオファントス著)の余白に書き込んだメモがきっかけである。 さらに、

私はこの定理について真に驚くべき証明を発見したが、ここに記すには余白が狭すぎる。
とのコメントが記してあった。まるで誰かがそのメモを見ることを予想していたかのように。

『算術』の余白には他にも様々な定理が証明無しで記してあり、彼の死後、遺品を整理していた遺族によって発見され、これらのメモ書き付きで再販された。その後、何人もの数学者によってそれらの定理に証明が与えられていったが、最後まで残ってしまったのがこの定理である。証明は困難を極め、いつしかこの定理はフェルマーの「最終」定理と呼ばれるようになった(この時点では未証明だったので「フェルマー予想」と呼ばれることもあったが、フェルマーが証明したという伝説にちなんで『定理』と呼ばれていた)。

この定理が証明されるまでに、実に350年以上もの歳月を必要とした。

証明したのはイギリスの数学者、アンドリュー・ワイルズである。この為、現在ではワイルズの定理、あるいはフェルマー・ワイルズの定理とも呼ばれる。ワイルズはフェルマー以降に発見された定理や、当時最新の定理を用いてこの難題に対抗。350年もの長い間、多くの数学者を悩ませ続けてきたモンスターも、1995年にようやく沈黙したのである。

ちなみに“n=2”の場合に等式が成り立つ条件について述べたのは、所謂ピタゴラスの定理(三平方の定理)である。

証明の歴史
<1670年>

全ての元凶 フェルマーの死後、彼の息子が遺品整理の際にフェルマーの注釈(最終定理は48個中2番目)を含めたディオファントスの「算術」(親父が証明したって言ってるけどその証明が残ってない定理一覧)を出版する。

またこの時、フェルマー自身はn=4の時についての証明を書き残していた。

<1770年>

レオンハルト・オイラーがn=4を簡略化し、そこに虚数(二乗すると-1になる数)を使いn=3の時の証明に成功する。

そして、その解法はそれぞれの倍数についても同様に成り立つ為 「全ての素数が成り立たないことを証明する」事でフェルマーの最終定理を証明できるとした。

<1823-1847年>

ソフィ・ジェルマンが「フェルマーの定理が成り立つ時は、x,y,zのいずれかがnで割り切れなければならない」と証明(ソフィ・ジェルマンの定理)

ペーター・グスタフ・ディリクレとアドリアン・マリー・ルジャンドが、ソフィ・ジェルマンの定理を用いてn=5の時の証明に成功し、ディリクレは「n=14」の時についても証明する。(後にガブリエル・ラメが「n=7」の時の証明に成功する)

そして、1847年に、業を煮やした数学界が「フェルマーの最終定理」に懸賞金を付ける。

これにガブリエル・ラメとオージュスタン=ルイ・コーシーが競い合って証明を完成させようとするが、証明方法の致命的な欠陥をエルンスト・クンマーに指摘され、断念。

クンマー がその欠陥を直した「ぼくのかんがえたさいきょうのかず」(理想数)を提案するが、同時に「この方法(理想数)を用いてもフェルマーの最終定理は証明できない」とも結論付けた。

(懸賞金はクンマーが受け取った)

<1955年>

志村五郎が、友人谷山豊の発想を元に「全ての楕円曲線とモジュラー形式は、ゼータ関数が一致するのではないか」(谷山・志村予想)と提唱し、ラングランズ哲学の観点から注目される。

(ようするに、全然分野の違う二つの数式が似てるけど、もしかしたら繋がってるんじゃないか?という予想)

※ラングランズ哲学・・・全ての物には数学的な規則性や必然性があり、実は全部深い所でつながってるんじゃないの?という考え
※(谷山・志村予想)は、専門家の間では、今は、「志村予想」である。

<1984年>

ゲルハルト・フライが「フェルマーの最終定理を変形させると楕円方程式の形になる」

そして「その変形させた楕円方程式は谷山=志村予想を満たさない」と発表

その後、ジャン・ピエール・セールによって定型化される(フライ・セールのイプシロン予想)

<1986年>
ケン・リベットが「フライ・セールのイプシロン予想」を証明する

これを整理すると

・谷村志村予想は楕円曲線とモジュラー形式がゼータ関数でラングランズ哲学がフライセールのイプシロン予想で

フェルマーの最終定理のx,y,zに正解があるとすれば、谷山=志村予想は満たされない(谷山=志村予想は間違っている)

言い換える(対偶をとる)と、谷山=志村予想が正しいと証明されれば、フェルマーの最終定理のx,y,zを満たす自然数の解は存在しない。

つまり、谷山・志村予想が正しいと証明出来れば、フェルマーの最終定理も証明出来るということになる。

<1993年>

6月23日

当時、岩沢理論における楕円曲線のゼータ関数の一部の証明に成功し、プリンストン大学の教授だったアンドリュー・ワイルズが、ケンブリッジのニュートン研究所の講演会で、証明に成功したと発表。

世間は大騒ぎになるが、のちの論文の審査で欠陥が見つかる。

当初はこの欠陥について、秘密裏に修復しようと沈黙していたが、論文の審査結果も論文自体も公表されないために、世間が混乱する。

<1994年9月19日>
ワイルズ「もう諦めよう…最後に岩澤理論を見直してみ…………!!!!」 
(本人曰く「夢じゃないかと思うような素晴らしい証明」が頭に浮かんだという」) 
(※ 1994年10月に新しい証明を発表。)

<1995年2月13日>
ワイルズの証明に不備がないことが確認され、330年もの歴史に決着がついた。

(※ 1995年のAnnals of Mathematics誌において出版し、その証明は、1995年2月13日に誤りがないことが確認され、360年に渡る歴史に決着を付けた。)
悪魔の証明
この証明は、300年以上もの間証明されなかったことから悪魔の証明とも呼ばれた。

といっても「証明するのが原理的に不可能」という意味の悪魔の証明ではなく、「数々の数学家を地獄に落とした」という経歴がそう呼ばせるのである。

1847年、クンマーが「現代の数学では不可能」と結論付けてから、1984年にフライ=セール予想が発表され具体的な証明方法が見つかるまでの間も、もちろんこの証明に挑戦する数学家たちは多かった。

特に1900年代に、大富豪ヴォルフスケールが10万マルク(日本円で十数億円)という莫大な懸賞金をこの定理の証明にかけた為、フェルマーの最終定理ブームが起こったほどである。

…がしかし、歴史的に見ても、もちろん証明されていないどころか、特にコレといった発見すらない。

つまり「まったくの無駄な時間」を、この問題に挑戦させた多くの人々に味合わせたのである。

無論、未解決問題の証明には長い長い時間を要する。5年10年では足りないだろう。

だがもし、人生の中の10年という時間をこの問題の証明に費やしても成果が出なかったらどうなるか?

答えは決まって「もっとのめりこむ」のであった。だってすでに10年もの歳月を使ってしまったのだから……。

証明しなければ報われない……だがしかし、証明さえすればこの10年は無駄ではなかった!それどころか十数億!さらには数学界における永遠の栄誉まで手に入る!

…そう信じて、死の直前まで理想を抱いたまま倒れたものがどれだけいただろうか……。

そして、このブームに乗っかったのは数学素人の方が多かったとも言われている。

理由は、この問題の悪魔的要素の一つである「理解のしやすさ」である。

難しい専門用語もなく、理解しがたい数式も無い、たった一行の数式を証明するだけである為に「もしかしたらできちゃうんじゃ」と勘違いする人間が数多く存在した。

さらに、フェルマーの一言「真に驚くべき証明」という言葉から「小難しい理論なんて必要じゃないんじゃない? ひらめき一発で解けるような、そんな問題なんじゃないか?」と勘違いを起こさせた。

実際に、数学者達は「誰も解けてないんだから無理だろう」と諦め、まともに取り組もうとしなかったが、一般人はそうは思わず、一人また一人と地獄送りへなっていった……フェルマー…恐ろしい子…!

一方で、この問題の証明を夢見て数学者の道を志した人間も少なくなく、多くの若者を数学の世界に招き入れたという正の側面も存在する。

最終的に証明に成功したアンドリュー・ワイルズもまた、そういった若者の一人であったのだが、数多の天才が敗れていったこの問題に手を出すことを恩師のジョン・コーツに止められ、数学者になってからしばらくは別の研究を続けていた。

……が、自身の専門分野である楕円曲線の研究がフェルマーの最終定理の内容と繋がることに気付き、それをきっかけにこの問題の証明へとのめり込んでいくいことになる。

ワイルズはこの証明に挑戦するために自室に引きこもり、講義や生徒指導など最低限の仕事しかこなさなくなったと言われている。

それどころか、定期的な発表会でさえ他の研究をしていなかったワイルズは未発表の論文を限りなく薄めて引き延ばすという方法をとり、時間を稼いでいた。

当然、彼の評価は「まともに仕事をしない」「大した成果を出さない」と、失墜していき、同僚からは「人が変わったように無能になった」と言われていた。

そんな生活を、彼は7年も続けていた。彼もまた、もしも結果が出ていなければ、一生を台無しにする所だったのかもしれない…。

(因みに、ヴォルフスケールの懸賞金はワイルズが受け取ったが、当時十数億円と言われた懸賞金は、世界大戦によるハイパーインフレにより500万円ほどの価値であった)

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やや専門的内容
http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/689.html

https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~abenori/conf/20150817.html

http://www.sci.kumamoto-u.ac.jp/~narita/ss2011_proceedings.pdf

http://ntw.sci.u-toyama.ac.jp/ss2017/

http://www.ist.aichi-pu.ac.jp/~tasaka/ss2018/index.html

https://core.ac.uk/download/pdf/42026066.pdf

ワイルズによるフェルマー予想の解決にも岩澤理論は大きな役割を果たした。 また、これ以外にも日本人数学者の結果が大きく寄与している。例えば、 肥田(晴三)の理論が有効に用いられたし、解決への道筋は谷山・志村予想を 経由するものであった。 

https://www.math.kyoto-u.ac.jp/~tetsushi/nt_seminar.html
 
(世間では「谷山志村予想」だが、専門家の間では、「志村予想」である。)
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メモ 数学者 2010年2月23日  近世日本人数学者列伝~志村五郎~

メモ 数学者 2010年2月23日   近世日本人数学者列伝~志村五郎~

(【今日の数学者】2月23日はガウスの命日であり、志村-谷山予想の志村五郎先生のお誕生日であり、フィールズ・メダリストの森重文先生のお誕生日です。)


孤高の数学者

数学オリンピックというのがあるがその問題はすべて人工的で、何か思いがけないうまいやり方を見つけないとできないのである。私はそういうのは好きでない。しかしその企画があった方がよいかない方がよいかというと、それはたぶんあった方がよいのだろう。ただし、本当に数学をやろうとする少年少女達はそんなのは無視して差し支えない。
志村五郎著「記憶の切り繪図」
志村五郎(1930~)は以前に本連載第5回~第9回「フェルマーその頂上への遙かなる道~谷山豊に捧げるレクイエム~」で取り上げた。

1930年 静岡県浜松に生まれる
1952年 東京大学理学部数学科卒業
1957年 パリ、ポアンカレ研究所『近代的整数論』(谷山豊との共著)
1958年 プリンストン高等研究所
1959年 東京大学助教授
1961年 大阪大学教授
1964年 プリンストン大学教授
現在、アメリカ在住、プリンストン大学名誉教授 専門は整数論

志村五郎こそフェルマーの最終定理の証明に必要だった数学者であった。彼の数学が無ければフェルマーの最終予想はずっと予想のままで定理とはならなかったからだ。彼ほど職人としての数学者道を突き進んでいる者を私は見たことがない。本連載でも繰り返し述べてきたことであるが、数学は人によって創られる世界である。けっして公式を覚え習ったとおりの解法に従い答をだせば済むような世界ではない。数の世界の信じられない理解しがたい現象に対峙する時、その背後に潜む仕組みを解き明かそうと思うのが数学者である。自らの直観と技だけを頼りに思考を結晶化させる。はたしてそれは論理の道筋をたどった定理という名の永遠の輝きをもつ宝石が発見されることになる。

志村は一貫して自らの数学を創ってきた。フェルマーの最終定理はいわゆる「谷山・志村予想」をワイルズが証明することで証明された。私が志村と電話で話した時、彼は淡々と、しかしその奥に確かにある憤りをかくすことなく私にくりかえしこういった。「この世界のプロならば私の定理を谷山・志村予想などとは言わない。志村予想と呼ぶ」数学の世界は人がつくっているものだといったが、それが意味するのは人間の業が渦巻く世界であることも意味する。この「谷山・志村予想」は詳しくは本連載第5回~第9回を参照してもらうことにして、志村の友人・同僚であった谷山豊が最初にいったとされる経緯で先に谷山と付けられている。私が知る限り整数論の「プロ」の中でも、今でも「谷山・志村予想」と呼ばれている。日本人のなかで「志村予想」と呼ぶ人を一人も知らない。

しかしだ、志村は言う。私がやってきた論文をちゃんとみればあの予想はすべて私が一人でつくってきたものとわかる、と。君はちゃんと調べて私にものを言っているのか、と志村に何度も言われた。確かに谷山は1955年日光で開催された代数的整数論国際会議で「有理楕円曲線はモジュラーである」と言った。そして、それにはある条件が必要とも言っていた。この言説は精確な予想というよりステートメントに近いものだった。志村はその谷山の言説とは全く関係なく自らの計算を行っていたのだった。そして、ついに「すべての有理楕円曲線はモジュラーである」との精確な予想にたどり着いた。谷山が言っていた「ある条件」は必要ないのである。そのとき語るべき相手谷山はこの世を去っていた。

私は繰り返し志村に尋ねた。「それでも谷山のステートメントがあったからあなたはその研究をしたのではないのですか」と。答は、断固それはない、一切関係がない、であった。事実は有理楕円曲線とモジュラーについてコメントしたのは谷山が最初だった。しかし、それとは一切関係なく、比較にならないほど考えられた末の結果が「すべての有理楕円曲線はモジュラーである」、志村予想だったのだ。その電話インタビューの後2008年に出版されたのが冒頭で紹介した「記憶の切繪図」だった。まさにその中に私が聞きたかったことへの返答が志村らしく精確に事実として述べてある。
ここで「有理数体上の楕円曲線はモジュラー関数で一意化される」という私の予想について説明しておこう。これは一九六四年九月頃に私がふたりの数学者に話したもので、その事はよく知られている。この予想はその三十数年後に証明されて、今では定理になっている。 ところで、これに関係ある言明を谷山豊がしているが、その意味と上記の私の言ったこととの関係を完全に理解している人は数学者も含めてほとんどいないのではないかと思われるので、その事を詳しく説明しよう。また私の口からはっきり言ってほしいと思っている人も多いであろう。
(中略)
私はこの問題に関する限り谷山と議論したことはない。はじめに書いたように私は私流の理論をひとりで構築していたから、彼のこの言明には全く重きをおいていなかった。その上、モジュラー関数以外のヘッケのいう保型形式は役に立たないと始から考えていたから無視していた。実はそれ以外に重要な保型形式があるが、そのことはここで考えない。また私は谷山と共著の本があるが、それは全く無関係である。もうひとつ書くと、一九五五年以後一九六〇年代にかけて、そういう代数曲線のゼータ関数を研究し、それを決定するなどという研究をしたのはおそらく私ひとりであったと思われる。谷山はそういうことはやらなかった。彼はヘッケの論文は読んでいたが、一変数の保型形式・関数の理論を自分のものにしていなかったように思われる。…
志村五郎著「記憶の切り繪図」付録三 あの予想
詳しくは「記憶の切繪図」を読んでもらうのが一番いい。世界のプロ中のプロだけに認められた日本生まれの数学者志村五郎は、つねに自分の信ずる道を進み続けてきた。彼が日本人におくるメッセージを次回は紹介していく。

●日本人は世界で最も想像力に富む国民の中に入るのではないかと思う

志村五郎ほど明解な言葉を語る数学者を私は知らない。数学はそれをあまり知らない人にとっては呪文のようにしかおもえない言葉である。そのことをよく知っている数学者は知らない人に語る言葉が自然と妥協じみたものになってくるのは当然といえる。しかし、志村五郎の語る言葉はいっさいの妥協を許さない。きわめて率直で、精確である。それゆえにその言葉は聞く人の心に響く。

アンドレ・ヴェイユ(1906~1988)という20 世紀を代表するフランスの数学者(思想家シモーヌ・ヴェイユは彼の妹)は多くの日本人数学者と交友関係をもった。中でも志村五郎(1930~)との付き合いは40年に及んだ。1950年代初めすでに世界の数学界の中心にいたヴェイユに、大学を卒業したばかりで助手になりたての志村五郎は一つの論文を送った。それに対してヴェイユから格別の賛辞の返事が届いた。世界一流の数学者に認められてもなお人にそれを語ることをしなかった志村とヴェイユの最初の出会いであった。
前回私は志村は職人であるといった。彼の数学の特徴はとにかく自分の手でつくることを基本としたところにある。自分がいいと認めるもの(彼にとっては定理のような数学的真実)をつくりだすことが最も重要で、他人がそれをどう評価するかが志村の感情を動かすことはなかった。志村は言う。
私は今どんな数学の仕事をしているとか、どんな論文を書いたかなど家族に話したことはない。家族以外でもあまりはなさない。自分で分かっていてそれで十分なのである。
志村五郎著「記憶の切り繪図」
職人である志村の目はずばり人を見抜いた。数学者高木貞治のことを「小人」と言ってのけることができるのは志村五郎だけだろう。数学には他の学問にあるような権威や派閥というものは本質的に存在しない。だから先輩だから年下だからということは数学の議論の中ではいっさい理由にならない。もちろん現実は、たとえ数学の世界といえどもそういったものはある。志村が力もないのに偉そうにしている年寄りを特に嫌った理由はそこにある。
「君子は泰にして驕らず、小人は驕りて泰ならず」という論語の言葉を引き合いにして、高木貞治の偉ぶった態度に失望したことを言っている。志村は学生時代、東大の教授達のやる気のなさにほとほとあきれかえった経験をしていることからもそう思うのは無理がないといえる。GHQ のマッカーサーにいたっては、小人以下であると吐き捨てている。

志村には驚きの現実が突きつけられる。先に述べたヴェイユが、はじめはあり得ないと否定した理論を後になってあたかも自分もそれに貢献したかのような言動をしたのであった。それこそあのフェルマーの最終予想解決のきっかけになった「谷山・志村予想」である。これはもともと谷山豊がいったことにはじまり、志村が精確にした予想であったことからこう呼ばれるようになった。ところが後になり「谷山・ヴェイユ予想」、「谷山・志村・ヴェイユ予想」、などとヴェイユの名前が入り込んできた。挙げ句の果てには「ヴェイユ予想」とも呼ばれることにもなった。
これははじめはまったく理解できなかった「谷山・志村予想」が理解できるようになったヴェイユがいろいろな席でこのことを語るようになったことが原因とされている。それほどヴェイユの権威はあった。すべての事情を知っている唯一の生き証人志村にしてみれば許すことができないことだった。ラングという同僚の数学者が「ヴェイユはこの予想には何の貢献もしていないのではないか」と言ったこともあり、現在ではヴェイユの名前は付けられず、「谷山・志村予想」と一般には呼ばれるようになっている。
しかし、これでも志村の怒りはおさまらない。彼にとっては「谷山」も必要ない。これが前回述べた内容だ。志村五郎ただ一人で考えだされた「谷山・志村予想」は「志村予想」でしかないと志村は言う。私が志村と話をした時には彼はこうもいった、「だから事情を知っているプロの数学者に谷山・志村予想と呼ぶ者はいない。私自身これを「私の予想」と呼ぶ」と。(ここまで読んでくださった読者にはぜひ本連載第5回「フェルマーその頂上への遙かなる道~谷山豊に捧げるレクイエム~」も読んでいただきたい。)

世界を渡り歩いた数学者・志村五郎は、今米国に住み日本を忘れることなく日本人に語りかける。余計なことは決して他人には語らない志村でも、語らなくてはいけない血の気が騒ぐこともある。それは事実と異なる主張に対してである。特に“権威ある年寄り”による祖国日本の未来に関わり、そして危惧される重大な言説には真っ向立ち向かう。冒頭の言葉は71歳の志村が2001年に読売新聞に自ら投稿した文であった。

ことあるたび日本の“権威ある年寄り”たちが自らの祖国をけなす態度に怒りを覚えてきた志村は、またしても聞き捨てならない言葉を目にした。2000年ノーベル賞をとった日本人科学者が、「まねて応用するのは得意だが、創造していないのが日本である」と新聞紙上に語っていたのだ。志村はこれに対して猛然と反駁した。米国から日本人、それも若者に対して次のメッセージを送ったのであった。
昔から「日本人はまねはうまいが、創造力に乏しい」とよく言われる。特に、自然科学の分野では、今日でも著名な学者たちがそう言っている。果たしてそうだろうか。私はその逆に、日本人は世界で最も創造力に富む国民の中に入るのではないかと思う。歴史的にみて、欧米の科学知識を吸収するのに多くの労苦と時間を要したのは当然であって、それを前提として考えると、日本の科学者たちは実によくやっている。
(中略)
もし、本当に日本人が創造力に乏しいというのなら、それを証明して欲しいものである。私にとって不可解なのは、著名な学者までが自国民をけなしている態度である。
考えてもみよ。世界のどこにそんなことを言って喜んでいる国があるか。その上、以前からこの問題を教育方法と結びつけて論じる人がいるが、そこに大きな危険が潜んでいることを指摘したい。
「丸暗記を廃して思考力を高めよ」というスローガンに反対する理由もないが、それを叫ぶのはほとんど無意味である。特に、そこから「教える分量を減らせ」という結論を引き出すのは誤りだ。
(中略)
はじめに戻って欧米人について言うと、彼らの中には、日本人のまねをして、あたかも自分の独創のように上手に宣伝するものがいる。いまもって、彼らが全体としてそうした卑劣な能力を失ったわけではないから、日本人の仕事が公平に評価されていると思ってはならない。
だから宣伝上手になれとは言わないが、若き世代へ私の忠言は、いかなる研究も中途半端にせず、どうしても認めさせずにはおかない水準にまで徹底的にやれということである。創造はしばしば徹底から生まれ、そしてまた、若き諸君にはそれができるはずなのである。
読売新聞2001年11月8日論点より
このメッセージから8年が経った。今の日本は8年前と何かが変わったのだろうか。進歩したのだろうか。志村に聞けばきっと次の返事が返ってくるに違いない。
「何も変わっていない。そのことについては8年前にすでに言ってあるからそれを読んでくれ」と。生ける真の職人、数学者志村五郎は今もなお進化し続けている。米国で、日本を思いながら。

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知の``継承''が生む創造力 (志村 五郎 米プリンストン大学名誉教授) 2001年11月8日 / 志村五郎先生の「誕生日の素数」のダビンチコードは?

知の``継承''が生む創造力 (志村 五郎 米プリンストン大学名誉教授) 2001年11月8日
 
 
昔から「日本人はまねはうまいが,創造力は乏しい」とよく言われる. 特に,自然科学の分野では,今日でも著名な学者たちがそう言っている. 果たしてそうだろうか.私はその逆に,日本人は世界で最も創造力に富む国民の中に入るのではないかと思う.歴史的にみて,欧米の科学 知識を吸収するのに多くの労苦と時間を要したのは当然であって,それを前提にして考えると,日本の科学者たちは実によくやっている. 科学というのは,多くの人の業績の積み重ねであって,「ゼロからの出発」はあり得ない.私の専門は数学だが,過去五十年間にわたる日 本の数学者たちの創造的な貢献は目覚ましく,何ら恥ずべきものはない. にもかかわらず,常に,その反対が叫ばれるのはなぜか.恐らく,明治以後の日本の進歩と発展に驚いた欧米人が,日本人を全面的に称賛したくなかったために,ケチを付けようと「まねは上手だが……」と言ったのが発端ではないだろうか.そして,その言葉を日本人の劣等感と欧米崇拝が,甘受してきた大きな理由と思う.また,欧米人と比べると日本人は宣伝が下手で,しかも,一般的に言って同国人の仕事(業績)を認めたがらないといった気質も加わっているのだろう.もし,本当に日本人が創造力に乏しいというのなら,それを証明して欲しいものである.私にとって不可解なのは,著名な学者までが自国民をけなしている態度である.考えてもみよ.世界のどこにそんなことを言って喜んでいる国があるか.その上,以前からこの問題を教育方法と結びつけて論じる人がいるが,そこに大きな危険が潜んでいることを指摘したい.

「丸暗記を廃して思考力を高めよ」というスローガンに反対する理由もないが,それを叫ぶのはほとんど無意味である.特に,そこから「教える分量を減らせ」という結論を引き出すのは誤りだ.それを論ずる前に,まず科学のある重要な考え方は,その創始者にとっては多大な努力の後の到達点であっても,次の世代にとってはそれが当たり前の常識になって,次の発展の母胎になるという事実を忘れてはならない.それは研究者の間だけに当てはまるものではなく,一般社会においてもそうである.例えば,毎日接する「降水確率」に使われている確率という概念がよい例である.そう考えてみると,確率ばかりではなく,教えられるき事実や概念の 
分量の多くは,それはますます増えていくだろう.もちろん古くて重要性を失ったものは切り捨てて,新しいものと置き換えられるべきだが,その作業は専門教育でも一般教育でも慎重に行わなければならない.大学生の学力低下は現実に起きているのである.付け加えると,まねが上手なのは良いことで,それもできないようでは何もできない.「まねは上手だが創造力はない」などと,それこと 
人の口まねのようなことを言うのはやめて欲しいものである.まして,それを教育方法,特に,教える分量に結びつけるのは実に愚劣だ.はじめに戻って欧米人について言うと,彼らの中には,日本人のまねをして,あたかも自分の独創のように上手に宣伝するものがいる.いまもって,彼らが全体としてそうした卑劣な能力を失ったわけではないから,日本人の仕事が公平に評価されていると思ってはならない.だから宣伝上手になれとは言わないが,若き世代へ私の忠言は,いかなる研究も中途半端にせず,どうしても認めさせずにはおかない水準にまで撤底的にやれということである.創造はしばしば撤底から生まれ,そしてまた,若き諸君にそれができるはずなのである. 大阪大学教授などを歴任.95年に自然科学者に贈られる藤原賞を受賞. 71歳. 「論点」読売新聞,2001年11月8日
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「谷山=志村予想」は「志村予想」!(フェルマーの最終定理の証明は、「志村予想」がカギであった。)
志村さんは整数論が専門。1950年代~60年代に、故谷山豊・東京大助教授と共に楕円(だえん)曲線の性質に関する「谷山=志村予想」を提唱。この予想を手がかりに、提示から350年以上数学者を悩ませてきた整数論の難問、フェルマーの最終定理が、英国のアンドリュー・ワイルズさんによって95年に証明された。
東大卒業後、同大助教授などを経て、64年から99年までプリンストン大教授を務めた。77年に米数学会「コール賞」、91年度に朝日賞を受賞した。
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志村五郎先生の「誕生日の素数」のダビンチコードは?
志村五郎先生の「ダ・ヴィンチ コード」は、19300223、209563、 691、55787、313289、23333である。
「誕生日の素数」とは・・・生年月日から「数」をつくり、その数を「素因数分解」して、最大素数を構成する「数のゲーム」である。
 
志村五郎(1930年2月23日)
の「誕生日の12次元」の「数」
「数」⇔「反転数(鏡の数)」

1.19300223⇔32200391
2.23051930⇔3915032
3.2231930⇔391322
4.19302302⇔20320391
5.2193023⇔3203912
6.23193002⇔20039132
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志村五郎(1930年2月23日)の「6つの数 (6 Number)シックスナンバー」
1.19300223
2.23051930
3.2231930
4.19302302
5.2193023
6.23193002
志村五郎(1930年2月23日)の「6つの反転数 (6 Inversion Number)シックス・インバージョン・ナンバー」
7.32200391
8.3915032
9.391322
10.20320391
11.3203912
12.20039132
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問1 志村五郎(1930年2月23日)の場合
「数」を「素因数分解」する。
12Number(12ナンバー)
12Prime factorization(12個の素因数分解)
1.19300223=
2.23051930=
3.2231930=
4.19302302=
5.2193023=
6.23193002=
7.32200391=
8.3915032=
9.391322=
10.20320391=
11.3203912=
12.20039132=
(すごい「素数」が存在する?)
問A 志村五郎(1930年2月23日)の場合
「数」→ 「APS素数」
12Number(12ナンバー)→ 12Prime(12プライム)
1.19300223→ 
2.23051930→ 
3.2231930→ 
4.19302302→ 
5.2193023→ 
6.23193002→ 
7.32200391→ 
8.3915032→ 
9.391322→ 
10.20320391→ 
11.3203912→ 
12.20039132→ 
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親子孫(家族)で計算してみよう!(歴史上の人物や有名人等の誕生日を調べで「研究」してみよう!
解答は下
参考
計算サイト
http://number006aps.blog.jp/archives/1074795205.html
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「誕生日の素数」とは・・・
レオナルド・ダ・ヴィンチの6つの「素数の暗号」
「ダ・ヴィンチ コード」は、97、3760363、2477、453797、2027、571 である。
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レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年4月15日生まれらしい。
映画「ダ・ヴィンチ コード」に影響をうけ、誕生日から「ダ・ヴィンチ コード」を探してみた。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「素数の暗号」です。
この誕生日のから、「年」、「月」、「日」から6つの「数」をつくる。
これを「6つの数(6 Number)シックスナンバー」となづける。
1.14520415
2.15041452
3.4151452
4.14521504
5.4145215
6.15145204
この6つの数を素因数分解し、その因数のうち「最も大きな素数(APS素数)」の6つができる。
ダ・ヴィンチの6つの「素数の暗号」が「ダ・ヴィンチ コード」である。
注:6つの「数」を作り方は、「ルール(規則)」を参照のこと。
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計算手順1
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年4月15日)の場合
「6つの数(6Number)」の素因数分解する。
1.14520415=5 * 7 * 7 * 13 * 47 * 97
2.15041452=2 * 2 * 3760363
3.4151452=2 * 2 * 419 * 2477
4.14521504=2 * 2 * 2 * 2 * 2 * 453797
5.4145215=5 * 409 * 2027
6.15145204=2 * 2 * 19 * 349 * 571
ダ・ヴィンチGCD
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計算手順2
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年4月15日)の場合
素因数分解した数より、最も大きな数を選ぶ。
「最も大きな数」=「APS素数」
1.14520415→97
2.15041452→3760363
3.4151452→2477
4.14521504→453797
5.4145215→2027
6.15145204→571
「ダ・ヴィンチ コード」は、「97、3760363、2477、453797、2027、571」 である。
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6Prime(シックス・プライム)は、「6つの数(6 NUMBER)シックスナンバー」それぞれを素因数分解し、その因数のうち「最も大きな素数(APS素数)」の6つのことである。
「6つの数(6Number)」も「APS素数」も同じ「数」の場合もある。
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ルール(規則)
「6つの数(6 Number)シックスナンバー」の謎(なぞ)へ
「6つの数(6 Number)シックスナンバー」は、「年」、「月」、「日」から「数」をつくる。
1.「年月日」: (YYYY年MM月DD日)の「YYYYMMDD」の「数」を使います。(日本形式)(年→月→日)
2.「日月年」: (DD日MM月YYYY年)の「DDMMYYYY」の「数」を使います。(ヨーロッパ形式)(日→月→年)
3.「月日年」:(MM月DD日YYYY年)の「MMDDYYYY」の「数」を使います。(アメリカ形式)(月→日→年)
4.「年日月」:(YYYY年DD日MM月)の「YYYYDDMM」の「数」を使います。(「ある地域(国)」形式)(年→日→月)
5.「月年日」:(MM月YYYY年DD日)の「MMYYYYDD」の「数」を使います。(「天空の城」形式)(月→年→日)
6.「日年月」:(DD日YYYY年MM月)の「DDYYYYMM」の「数」を使います。(宇宙の形式)(日→年→月)
1879年3月14日の場合
1.YYYY.MM.DD=1879.03.14 「DDMMYYYY」=18790314
2.DD.MM.YYYY=14.03.1879 「MMDDYYYY」=14031879
3.MM.DD.YYYY=03.14.1879 「YYYYDDMM」=3141879
4.YYYY.DD.MM=1879.14.03 「MMYYYYDD」=18791403
5.MM.YYYY.DD=03.1879.14 「MMYYYYDD」=3187914
6.DD.YYYY.MM=14.1879.03 「DDYYYYMM」=14187903
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つまり、人は誰でも「ダ・ヴィンチ コード」をもっている。
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レオナルド・ダ・ヴィンチの6つの「素数の暗号」
「ダ・ヴィンチ コード」は、97、3760363、2477、453797、2027、571 である。
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解答例
問1 志村五郎(1930年2月23日)の場合
「数」を「素因数分解」する。
12Number(12ナンバー)
12Prime factorization(12個の素因数分解)
1.19300223=19300223(なんと素数!)
2.23051930=2 * 5 * 11 * 209563
3.2231930=2 * 5 * 17 * 19 * 691 ( 「17」 と 「691」 )
4.19302302=2 * 173 * 55787
5.2193023=7 * 313289
6.23193002=2 * 7 * 71 * 23333 ( あの 「71」)
7.32200391=23 * 1400017
8.3915032=2 * 2 * 2 * 11 * 17 * 2617
9.391322=2 * 23 * 47 * 181
10.20320391=7 * 13 * 13 * 89 * 193
11.3203912=2 * 2 * 2 * 31 * 12919
12.20039132=2 * 2 * 5009783
問A 志村五郎(1930年2月23日)の場合
「数」→ 「APS素数」
12Number(12ナンバー)→ 12Prime(12プライム)
1.19300223→ 19300223
2.23051930→ 209563
3.2231930→ 691
4.19302302→ 55787
5.2193023→ 313289
6.23193002→ 23333
7.32200391→ 1400017
8.3915032→ 2617
9.391322→ 181
10.20320391→ 193
11.3203912→ 12919
12.20039132→ 5009783
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志村五郎先生の6つの「素数の暗号」
「ダ・ヴィンチ コード」は、19300223、209563、 691、55787、313289、23333である。
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世界 日付表現メモ 
http://rikezyo00sumaho.blog.fc2.com/blog-entry-1.html
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参考
 
「誕生日の素数」  知の``継承''が生む創造力 (志村 五郎 米プリンストン大学名誉教授) 2001年11月8日 / 志村五郎先生の「誕生日の素数」のダビンチコードは?「19300223、209563、 691、55787、313289、23333」

知の``継承''が生む創造力 (志村 五郎 米プリンストン大学名誉教授) 2001年11月8日 / 志村五郎先生の「誕生日の素数」のダビンチコードは?「19300223、209563、 691、55787、313289、23333」
 
静岡の天才 知の``継承''が生む創造力 (志村 五郎 米プリンストン大学名誉教授) 2001年11月8日 / 志村五郎先生の「誕生日の素数」のダビンチコードは?「19300223、209563、 691、55787、313289、23333」
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フェルマーの最終定理(フェルマーのさいしゅうていり、Fermat's Last Theorem)とは、3 以上の自然数 n について、(xのn乗) + (yのn乗) = (zのn乗) となる自然数の組 (x, y, z) は存在しない、という定理のことである。フェルマーの大定理とも呼ばれる。フェルマーが驚くべき証明を得たと書き残したと伝えられ、長らく証明も反証もなされなかったことからフェルマー予想とも称されたが、フェルマーの死後360年経った1995年にアンドリュー・ワイルズによって完全に証明され、ワイルズの定理あるいはフェルマー・ワイルズの定理とも呼ばれるようになった。
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やや専門的内容
http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/689.html

https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~abenori/conf/20150817.html

http://www.sci.kumamoto-u.ac.jp/~narita/ss2011_proceedings.pdf

http://ntw.sci.u-toyama.ac.jp/ss2017/

http://www.ist.aichi-pu.ac.jp/~tasaka/ss2018/index.html

https://core.ac.uk/download/pdf/42026066.pdf

ワイルズによるフェルマー予想の解決にも岩澤理論は大きな役割を果たした。 また、これ以外にも日本人数学者の結果が大きく寄与している。例えば、 肥田(晴三)の理論が有効に用いられたし、解決への道筋は谷山・志村予想を 経由するものであった。 
(世間では「谷山志村予想」だが、専門化の間では、「志村予想」である。)
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志村五郎博士著"The Map of My Life"より重要資料の手紙三編

巷では志村博士のThe Map of My Lifeと"記憶の切繪図"が同じだと思っている人が非常に多いです。もちろん本文は英語と日本語の表現の差はあれど内容自体はほぼ同じです。逆に食い違っていたら、それこそ問題でしょう。決定的な差は付録部分にあります。The Map of My Lifeの付録には、いわゆる志村予想の背景を示す重要資料になるであろう手紙が三編も収められており、数学界にいる人はそこに注目したはずです。一方"記憶の切繪図"の付録には一般人向けに志村博士が日本語で書いたエッセイが収められています。この差は大きいと思います。何故そうなったのか、常識があればすぐに分かります。The Map of My Lifeはあの世界に冠たるシュプリンガー社本体から、"記憶の切繪図"は日本の筑摩書房から出版されています。つまり、想定している読者層が違うのです。一方が数学者達も含めた世界中の人々、他方が日本の一般人を対象にしているのです。だから本の内容全体に差が出て当たり前なんです。その決定的な差を殆どの日本人(もちろん専門家を除きます。以降いちいち断わりを入れません)は理解していません。いや、むしろ事実を直視したくないとも私には思えます。
そこで志村予想の背景を示す手紙三編を今回紹介します。何故あの予想を志村予想と呼ぶのか、そしてそう呼ぶのが一番正確であり、そう呼ばれるべきかについてはサージ・ラング博士の調査報告とも言ってよい"志村-谷山予想の或る由来"を参照して下さい。または、数学的議論抜きであれば"谷山豊と彼の生涯 個人的回想"の前置き及び追記の中を読んで下さい。但し、保型形式とモジュラ形式の違いも知らない人は読んでも時間の無駄でしょう。
さて手紙三編の内訳ですが、一通がフェイドゥーン・シャヒーディ博士宛、残りの二通がリチャード・テイラー博士宛です。これらの手紙三編は現代数学史研究に欠くことの出来ない資料だと思います。実を言えば、これらの三編は部分的に先ほどの"志村-谷山予想の或る由来"で引用されています。そして、これまた嫌味に聞こえるかも知れませんが、リチャード・テイラー博士の名前も初耳の人は時間の無駄ですから以降を読まない方がいいでしょう。
これらの手紙の私訳を以下に載せておきます。なお、今回原文へのリンクは(当たり前ですが)ありません。原文に興味のある人は是非ともThe Map of My Lifeを購入して下さい。

[追記: 2018年02月03日]
The Map of My Lifeの付録にはそもそも何が収められているのか。タイトルだけを和訳せずに列挙しますと、That Conjecture、A Letter to Freydoon Shahidi、Two Letters to Richard Taylor、Response、André Weil as I Knew Himの5編です。
そのうちで最後の"André Weil as I Knew Him"については、既にこの"私訳"シリーズで紹介しており、"私が交流したアンドレ・ヴェイユ"を参照して下さい。
ところで、海外の知人がThe Map of My Lifeを読み、既に日本語版である"記憶の切繪図"が出版されていることを知りました。しかし、知人はThe Map of My Lifeの付録も全部含めて志村博士が自ら日本語に書直したのが"記憶の切繪図"なのか疑問に思い、私に問い合わせて来ました。そこで、まあ本文は表現の差があれどほぼ同じだが、付録部が全く違うこと、だから本全体として別物で、全く違う本と考えるべきだと伝えました。その過程で日米の(いや、日本と世界の、と言うべきでしょうが)読者層の違い、出版社の規模等を議論しましたが、私は日本人の視野の狭さ、つまり思い込みの強さ、書くリヴュの無責任さを取り上げ以下のことを知人に書きました。日本語の壁に隠れて好き放題に喚いている卑怯者の輩の仲間に入りたくないので、私の書いたものを世界の誰もが読めるようにさらけ出しておきます。
By way of a bit of advice for the Japanese hoi polloi.
I wrote a review on "The Map of My Life" long ago. Should you be interested in my review written in Amazon Japan, please feel free to look at it.
As you know, apparently most Japanese think that "The Map of My Life" is just a translation of the Japanese edition "記憶の切繪図," which you may take as the Japanese pronunciation "Kioku no Kiri-ezu," and that they don't in the least need to read the former. I cannot help saying that how stupid they are. Actually all the content of the former is a good deal different from that of the latter.
Now let me show you the difference between both books. First of all, the number of mathematicians appearing in the former is a good deal greater than that of the latter. Secondly, the former appends valuable documents which tell a story of the Shimura conjecture, not the Taniyama-Shimura conjecture. Note in passing that Taniyama didn't conjecture the modularity at all, more's the pity.
Besides, there are such exemplifications here and there. I guess that Professor Shimura first wrote the former in English, and that he wrote the latter in Japanese, especially for the Japanese public, omitting some of topics of the former; then it doesn't matter whether the former was really published earlier than the latter.
In short, shouldn't you be a layperson, you might want to read "The Map of My Life."
Last but not least, I'd like to write why I write even reviews of Japanese books, in English. Do you really think the people who use Amazon Japan, say, are confined to the Japanese? That is never the case. I really know some foreigners using there, if not many, though most of them live in Japan but they don't always understand Japanese.
From an international point of view, writing reviews in Japanese, especially if there's severe criticism in reviews, is obviously ugly. For example, imagine when reviewers criticize the authors of Japanese translations, and the authors don't understand Japanese at all. How far strange! To put it bluntly, such reviewers hide themselves behind what I call a Japanese language barrier. In other words, they must be cowards.
Thus you must use such languages as people of normal intelligence, worldwide  understand, if you want to criticize someone. Otherwise, you aren't qualified to review.

[追記: 2019年03月23日]
このペィジは2018年02月02日に某サイトに載せたものです。従いまして、当時生きていたリンクも現在ではリンク切れになっている可能性があります。

[追記: 2019年05月04日]
2018年02月03日付の追記で触れました"That Conjecture"については'志村五郎博士著"The Map of My Life"のAppendixより"あの予想"'を見て下さい。
つい先ほど、志村博士が3日に米国で死去されたというニューズを知りました。
ここに謹んで哀悼の意を表します。

フェイドゥーン・シャヒーディへの手紙(志村五郎博士著The Map of My Life p. 174-175)

                             1986年9月16日
シャヒーディ様
1967年に知られていたことに関して貴方がよく分かっていないことを当然だと思うべきだったと今悟っている。だから、いろいろな事柄について私にもっと詳しく説明させて欲しい。

1962-64年に高等研究所のメンバーによって開かれたパーティーで、セールが私のところに来て、モジュラ曲線に関する私の結果(下を参照のこと)がQ上の任意の楕円曲線に適用しないから、それらの結果はそれほど良くないと言った。そんな曲線は必ずモジュラ曲線のヤコビアンの商に違いないと信じると私は応答した。セールはそこにいなかったヴェイユにこれを言った。数日後、ヴェイユは私に本当にその声明を言ったのか訊ねた。"はい、筋が通っていると思いませんか?"と私は言った。その時に彼は"両方の集合が可算だから... ..."と言ったが、彼の全集の第Ⅲ巻の450ページ目にそれをフランス語に翻訳している。
454ページ目において彼はいくぶん予想を立てる考えに反対である。この理由のため、私が予想を述べていることを直接的に言うことを避けたと私は思う。
モジュラと他の曲線について言えば、アイヒラーの1954年の論文と私の3つの論文、J. Math. Soc. Japan vol. 10 (1958), 1–28; vol. 13 (1961), 275–331; Ann. of Math. 85 (1967), 58–159.に言及させて欲しい。
これらの論文の中で、"数論的商(特にモジュラ)の曲線"のゼータ函数が解析的接続を持つことが示されている。その商に関する結果は明示的に言及されていないが、代数的対応のようにヘッケのオペレーターがQ上または妥当な数体上で定義されている事実の易しい結果である。
私がセールと話した時にこの事実を意識した。もっとはっきり言えば、多分1965年に私はそれに関してヴェイユに話した。彼の論文[1967a]の最後で彼はそれを言及している。すなわち、"志村五郎の話によれば..."。当時私は彼に、そこで言及されている曲線C´のゼータ函数が問題中の尖点形式のメリン変換であることさえも話したが、彼はその命題を割愛した。結局、私の本の中(定理7.14と定理7.15)と同様に、私の論文J. Math. Soc. Japan 25 (1973)の中でもっと一般的な結果を発表した。
この議題に勿論ヴェイユは彼なりに貢献したが、モジュラ楕円曲線のゼータ函数に関する結果に対しても、そんな曲線がQ上のすべての楕円曲線を使い果たすだろうという基本的アイデアに対しても関係が無い。
更に疑問があれば、どうか私に知らせて欲しい。
                                 敬具
                               志村五郎

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リチャード・テイラーへの2つの手紙(志村五郎博士著The Map of My Life p. 176-181)

                            1994年11月25日
リチャード様
私は貴方の論文"On the ℓ-adic cohomology of Siegel threefolds[訳注: ジーゲル三次元多様体のℓ-進コホモロジーについて]", Invent. math. 114 (1993), 289–310を読む楽しみを得たが、以下の私の論文を知らない印象を受けた。

Construction of class fields and zeta functions of algebraic curves[訳注: 類体と代数曲線のゼータ函数の構築], Ann. of Math. 85 (1967), 58–159.

この論文の最後の節で、代数曲線Vのゼータ及びL⁻函数が定義されており、そこにおいてVは一つのアルキメデス素数でのみに非分岐な完全実代数体上の四元数環から得られるという事実へ貴方の注意を促したい。
私はこの種の手紙を滅多に書かない(殆どない)が、ただいまの場合そうするための良き理由を私は持っている。実のところ奇妙にも、この論文はリビュー記事すべて、そして研究論文においてさえも言及されたことがない。せいぜい著者達はQ上の四元数環の場合を私が取り扱ったと言及する(それは本当だ)が、その情報だけでは誤解を招きやすい。Clozelのブルバキ論文(March 1993, No.766)が実例だ。一度誰かがリビュー記事を書くと、他の人達は自分達で歴史的研究をせずにそれに倣う。結果的に誤解は継続されるが、私が手紙を書いている理由はそれである。
従って、上記の1967年論文の少なくとも序論と関連部分を読んでくれと貴方に頼めるか? 貴方が問題の歴史的側面に興味を持つかと思う。貴方がやってくれると仮定して、ケン・リベットへの私の手紙のコピーを同封しているが、それに興味を持つと希望する。その中で私はすべてを説明したのではなかった。例えばトレース式は、すべてのQ-有理楕円曲線はモジュラであるという私の予想の背後の私のアイデアと非常に関係があった。もう一つ別の奇妙な事実がある。すなわち、誰も私が予想を立てた理由を訊ねたことがない。おそらく今それがはっきり見えるかも知れない。
                                 敬具
                               志村五郎

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                            1994年12月12日
リチャード様
まるで私が貴方にあの問題を訊ねるよう強要しているかのようだ。ともかく、すべてのQ-有理楕円曲線はモジュラであるという予想へ私を導いたアイデアについて私が話せることがここにある。

先ず第一に、数学的オブジェクト(Q-有理楕円曲線のゼータ函数)の或る概念が、そのオブジェクトの特別な提示方法(モジュラ函数による一意化)で最もよく記述されるならば、同じタイプのオブジェクト全体が同じ方法で提示されるはずと期待することは当然だという基本的哲学がある。勿論これが間違いであることが分かるかも知れないが、人はそれを開始点として必ず取れる。しかし、そんな荒削りの哲学に加えて、そのアイデアをサポートする少なくとも2つのテクニカルな事実がある。
これらの内の最初は比較的に簡単だ。これについて私は既にアンドリュー[訳注: もちろんアンドリュー・ワイルズ博士のこと]への手紙の中に書いたので、それからの一節を引用させて欲しい。

1963年のボルダーの夏コンファレンスで私はブライアン・バーチに会った。彼はZE(1)の意味に関する彼のアイデアを私に語った。ここでZEはQ-有理楕円曲線Eのゼータ函数だ。彼はモジュラ函数によって一意化される曲線について何も知らなかった。だから私はアイヒラーと私自身の結果を彼に説明した。更に、彼が当然ZE(1)の消滅または非消滅の問題に興味を持ったから、次の3つの事実を彼に話した。

(1) EがΓ0(N)\Hとして与えられるならば、ZE(1)は∫0∞f(iy)dy(ここでfは尖点形式)の定数倍であり、従ってZE(1)は事実上周期である。例えばN=11ならば、fの明示形式はf(iy)が必ず正だと告げており、その結果ZE(1)≠0であるが、同じことが他の場合に成立する。
(2) gがディリクレ指標によるfのねじりならば、gは高位水準の尖点形式である。
(3) 特に指標が2次ならば、gのメリン変換はEのねじりDに対してZDを与える。ZDの函数方程式から、ZD(1)=0を満たすDの実例を得られる。

これらは易しくても彼には全く初めてだった。彼は1960年代早期の論文の中でこれを承認した。Γ0(N)\Hが種数1の場合に関してのみ私は彼に話したと思う。私は彼にDが高位水準でヤコビアンの因子であることを話したのか? 私はそれを知っていたと思うが、おそらく(2)と(3)の他にそれに関して話さなかった。
(引用終わり)

要するにEがモジュラならば、そのねじれもモジュラである。

さて2番目の事実はもっと強い要因だ。ご存知の通り私はアーベル多様体のモジュライの多様体についてずっと研究していたが、それが私にとって多様体のゼータ函数を理解する唯一の方法だったからだ。私は最初アーベル多様体(その自己準同型多元環がQ上の不定四元数環Bを含む)の族の場合を研究(Proc. Int. Cong. M. 1958, J. Math. Soc. Japan, 1961)し、良いオイラー積を持つ良い曲線を見つけた。私は完全実数体F上の四元数環のもっと一般的な場合の調査も始めた。しかし、F≠Qならば、そんな多元環に対するヘッケ理論はF上のオイラー積を作り、他にも、代数曲線を持つ場合において定義の自然な体はFまたはそのアーベル拡大である(Ann. of Math. 76 (1962), Osaka Math. J. 14 (1962))。従って、Q-有理オブジェクトを得るためにFをQであると思わなければならなかった。Q上の除法Bから得られる、これらの曲線はモジュラでない(そして厳密に言えば、それは正しい。以降を見よ)かも知れないと私は最初思ったが、非モジュラQ-有理楕円曲線は次の理由のために得られるはずがないと分かった。アイヒラーは彼のトレース式を用いて、Bにおけるオイラー積は楕円型モジュラ形式から得られるものに既に含まれていることを示した(Acta Arith. 4 (1958))。この結果は後に清水によって一般化された(Annals 81 (1965))。いわゆるテイト予想はずっと後で明確に述べられたが、そのアイデアは谷山と私自身に知られていた。だから同じゼータ函数を持つ二つ楕円曲線は同種であると考えることは私にとって当然だった。
Bに関する、この後者の事実は私が予想を述べることに対する最も強い理由だったかも知れない。谷山は"他の特別な保型函数が必要だ"と言ったが、彼はヘッケの非モジュラ三角形関数を意図した。しかし、私はそれらが必要だと決して思わなかった(ええと、彼が正しいことが判明するかも知れないが)。
除法Bから得られる曲線に関して、曲線の自然なモデルは種数1の時でさえ実数点を持たないことを私は示した(Math. Ann. 215 (1975))。そういう意味で、それらはモジュラでない。それらのヤコビ多様体は楕円曲線だけれども、それらは楕円曲線でない。このポイントはそれらの曲線の存在理由を説明しているのかも知れない。この現象に関する調査があるのかと思う。
最後に、上記の問題に関連してエピソードを記させて欲しい。1962年の夏、伊原[訳注: もちろん伊原康隆博士のこと]が私に(東京の珈琲店に私達がいる時だったと思う)2つのトレース式の間の同等性を見つけたと言った。私は上記のアイヒラーの1958年論文を気づいていたから、それを確認するため私達両者は大学図書館に行ったが、井原の結果はアイヒラーのものに含まれていることが分かった。彼は失望したと思うが、その点について私は何も憶えていない。当時彼は東京大学の大学院生だったが、私はその年の9月にプリストンに来た。彼は結局このトピックに関して博士論文を書いたが、発表しなかった。
トレース式及び関連する議題に関して、その時期のエピソードをもっと思い出せるが、それらに関してまたいつか、おそらく貴方がプリストンに来る時に話そう。
                                 敬具
                               志村五郎
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2007年に追加された注意:
1. 最後の手紙の中で、私は"ええと、彼が正しいことが判明するかも知れないが"と書いた。これは予想が1994年まで完全には解決されていなかったからだ。

2. 読者は私のCollected Papers, vols. I, IVの中の記事[64e]と[89a]に対するNotesも参照されたい。それは1950年代と1960年代に私が考えていたこと、または、やっていたことに関するもう少し多くの説明を含んでいる。

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志村多様体。
志村氏の仕事にもアーベル 多様体という形で現れているが、Deligne は Grothendieck のモチーフの哲学(モチーフという数学的実在を信じる宗教 のようなもの)と志村氏の仕事を結びつけた。夢を語るとす れば、志村多様体は(条件を付けた)モチーフのモデュライ 空間なのである。(有界対称領域自身は Hodge 構造の分類 空間と解釈される。「モチーフは Hodge 構造を生む」 ので ある。) 


代数多様体という幾何学的対象のゼータ関数と、 解析的に定義される保型形式との関係は 整数論において非常に基本的なものであり、 このような関係が存在することは現在広く信じられている。 
ワイルズによるフェルマー予想の証明に利用された、 楕円曲線とモジュラー形式の関係を与える谷山-志村予想は、この関係の最初に見いだされた例である。 
この予想は、志村多様体という代数多様体の特別なクラスについては、 いくつかの場合に証明されている。 
その証明にはエタール・コホモロジー、セルバーグのトレース公式等の 現代数学の最高の技法が駆使される。 
セルバーグのトレース公式の一般的な形は難解であるが、 しばしば、これをレフシェッツ型のより幾何学的なトレース公式で 
代用することができる。 
SK氏はリジッド解析空間のコホモロジーについての基礎的研究を行い、 レフシェッツ型のトレース公式についてのドリーニュ予想など いくつかの有名な予想を解決した。 
さらに、数年前からは、谷山ー志村予想についてのワイルズの結果を ヒルベルト・モジュラー形式に拡張することを試み、 
これについても著しい結果を出している。 とくに、テーラー・ワイルズの方法を公理化した可換環論的手法は強力であり、 
すでに多くの研究者によて利用されている。 
SK氏のこの方面の研究はヒルベルト・モジュラー形式に止まらず、 多変数の保型形式の理論に大きな影響を与えつつある。

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0次元志村多様体は虚数乗法ですよ。
1次元志村多様体はモジュラー曲線ですよ。

メモ 数学者 2009年02月23日 近世日本人数学者列伝~森重文~

メモ 数学者 2009年02月23日  近世日本人数学者列伝~森重文~

(【今日の数学者】2月23日はガウスの命日であり、志村-谷山予想の志村五郎先生のお誕生日であり、フィールズ・メダリストの森重文先生のお誕生日です。 ガウスの生まれかわりの フィールズ・メダリストの森重文先生ですね!森教授の好きな数字は「23」。この数字になにか神秘的な性質があるのかとインタビュアーは思った が、好きな理由は「誕生日が23日だからです」だそうだ。)
 


近世日本人数学者列伝~森重文~

その数学者は厳粛な面持ちでメダルを受け取りました。彼こそ日本で3人目のフィールズ賞受賞者、森重文でした。当時大学生だった私はその授賞式を目の当たりにしていました。第21回国際数学者会議(ICM90)は、1990年8月21日から8月29日まで国立京都国際会館で開催されました。9日間に及ぶ大会は、世界中から4000人が参加し、ハイライトである授賞式ではフィールズ賞が森重文、ドリンフェルト、ジョーンズ、ウィッテンの4氏に、ネヴェリンナ賞はラズボロフに与えられ幕を閉じたのでした。
大成功に終わった第21回国際数学者会議(ICM90)を振り返ると、これまでの日本人数学者が築き上げてきた日本の数学が世界をいかにリードしてきたか、つまり日本が数学大国の地位を占めているかを物語っていると言えます。このとき、最初の日本人フィールズ賞受賞者である小平邦彦(連載 第28回、第30回)が組織委員長を務め、二人目のフィールズ賞受賞者広中平祐(連載 第31回、第32回)が森重文の業績紹介を行っています。

先駆者としての小平と広中は世界に認められ日本の数学を牽引してきました。彼らの尽力の甲斐あり、ついに日本で開催されることになった国際数学者会議だったのです。そこで、森重文にフィールズ賞が授与されるというのはベスト・タイミングだったとしかいえません。いくら日本での開催だからといい日本人に受賞させようなどという「あまい」はからいはありえなかったことを言っておかなければなりません。連載第28回でも説明した通り、国際数学者連合(IMU)が数年をかけた慎重な審議を行い受賞者は決定されます。
歴代二人の日本人フィールズ賞受賞者をはじめ、後に第1回ガウス賞を受賞することになる伊藤清(連載参照:「数学~その遙かなる風景~」パート4「数学は言葉」最終回)がICM90 名誉会長、そして2,300名の日本人参加者の中で日本人森重文にフィールズメダルが授与されることはまさに感慨深い思い出でした。

●日本で研究をしたフィールズメダリスト、森重文

1951年 名古屋に生まれる
1973年 京都大学理学部卒
1975年 京都大学理学部助手
1977年 米国ハーバード大学助教授(~1980)
1978年 京都大学にて博士号取得、指導教官は永田雅宜
1979年 ハーツホーン予想を解決
1982年 名古屋大学講師
1983年 日本数学会彌永賞
1984年 中日文化賞受賞
1987年 3次元の代数多様体の極小モデルの存在証明に成功
1988年 日本数学会秋季賞、名古屋大学教授
1990年 フィールズ賞受賞、京都大学数理解析研究所教授、日本学士院学士院賞、文化功労者
1998年 日本学士院会員
2004年 藤原科学財団藤原賞受賞
この経歴をみて気づくことがあります。日本国内での研究だけでフィールズ賞をとったことです。小平邦彦は頭脳流出第一号といわれたほどアメリカでながく研究生活をおくりましたし、広中平祐も同様に世界に飛び出ることで海外の優秀な指導者に巡り会うことができ、フィールズ賞をとることにつながったと言えます。それに対して、森重文は3年間のハーバード大学助教授の経験はあるものの、研究は日本国内で行われています。このことは日本数学の層の厚さを実証することにもなったわけです。真に日本で研究をしてフィールズ賞を受賞した唯一の数学者こそ森重文なのです。

それにしても森重文はどのようにしてフィールズ賞にまでたどり着いたのでしょうか。ひとつのエピソードがそれを教えてくれます。森は東海中学校・高等学校を卒業しています。私は数年前ここで講演をする機会があったのですが、驚いたことにそれは東海中学校の生徒が直接私本人に講演依頼をしたことで実現したのです。そんなことはこれまでにこの東海中学校だけです。学校の先生にきけば、その講演会は例年、中学生に運営のすべてを任せて開催されるとのことでした。私に講演依頼してきた中学生はとてもしっかりした印象でした。なるほど生徒の自主性を重んじる学校の姿勢が本物であり、著名な卒業生のラインナップがそれを物語っています。そのような校風の中、高校生の森重文は月刊誌「大学への数学」の懸賞問題に応募し満点を取りまくっていました。大学紛争で東大の入試が中止になり京大に進んだことも後に大きな運命の分かれ道になりました。京大で広中平祐の代数幾何の講義を受け、その明解さに感銘を受けた森は代数幾何の道に進んで行きました。決してエリート教育を受けたわけでなく、普通の日本の教育の中で森重文は好きな数学の問題を考え続けてきたといえます。日本の教育システムの問題点が語られ続けて久しいですが、森重文の歩んだ道のりを振り返ってみると日本にはちゃんと学問ができる環境はあることがわかってきます。

昨年私は彼に会う機会があり、様々な話を聞くことができました。私が数学は森先生にとって何でしょうかと尋ねたところ、即答してもらえませんでした。そこで、数学は仕事ですかと聞くと、そうではないといい、さらに趣味ですかと聞けば、趣味でもないと答えてくださったことが印象的でした。すぐに、フランスの数学者ポアンカレの言葉を思い出しました。「数学者になることはできない。数学者として生まれるのでなければならない」
次回、森重文・後編では氏の業績「3次元代数多様体の分類」を紹介していきます。 


●フィールズ賞受賞理由「3次元代数多様体の極小モデルの存在定理」


ICM90 会場、国立京都国際会館での舞楽「五節の舞」

フィールズ賞選考委員会委員長ファデーエフからフィールズメダルを受け取る森重文

ICM90 京都で自らの理論を説明する森重文

広中平祐による森重文の業績紹介
森重文の専門は広中平祐(連載第31回、第32回)と同じ代数幾何学です。多項式の零点の集合を代数多様体といいます。例えば図形としての円は、多項式でx2+y2.r2=0 を満たす点(x,y) の集合(零点の集合)と言い換えられます。多項式でx2+y2.r2=0 は2次式なので、その曲線は2次曲線と呼ばれます。多項式x2+ay2.1=0 の零点の集合はa の値によって双曲線、平行線、楕円に分類されます。多項式の係数と多様体(代数曲線)の形の関係が見えてきます。

このように、多項式から多様体(「図形」を一般化・抽象化した概念)をみるのが代数幾何学と呼ばれる分野で、ここでの幾何(図形)を代数多様体といいます。代数幾何学とは、次元の高い(つまり見えない)代数多様体の性質を調べる分野ということになります。そして、「代数多様体の分類」こそ大きな目的となっているのです。森重文自身は次のように説明しています。
代数幾何とは何かは説明しにくいように言われているけれど、四則演算しか使わないのだから、「図形」が目に見えないということを気にしなければ、それほどでもないと思います。代数幾何とは「連立方程式で表される図形」だから、いくつか絵を描いてそんなものだという感じをつかんでもらえればいいんです。抽象画のような絵しか描けないんですけど、論理を追う論理力と想像力というか柔軟さがあれば、そんなに難しいことだとは思いません。
「森重文インタビュー」
(「数学セミナー」1991年2月号臨時増刊 国際数学者会議ICM90 京都、日本評論社)

さて、その代数多様体の分類は多項式の次数が上がるにつれて難易度が急激に増してきます。先ほどの例の「2次曲線の分類」は直交座標をうまく選ぶことがポイントになります。3次以上の代数曲線では、射影変換といわれる手法でやはりうまい座標を選ぶことがポイントになります。このように分類理論を建設するためにさまざまな新しい強力な手法が発見されていくことになりました。小平邦彦(連載第28回、第30回)は解析多様体の分類に成功し、広中平祐は代数多様体の特異点を解消できることを示して代数多様体研究の土台を築き上げたのでした。そして、広中平祐が行った特異点解消理論は「双有理変換」という手法が大きなポイントだったのですが、森重文は新しい手法「端射線の理論」を作り上げて困難とされた3次元多様体の分類と双有理変換の研究を可能にしていきました。そして、ついに1988年に「3次元代数多様体の極小モデルの存在定理」が証明され、1990年のフィールズ賞受賞に至りました。
まさに、小平邦彦、広中平祐の研究の先に森重文が存在していたことになったわけです。この3次元の場合、その分類はだれもよせつけないほどの困難さがあったにもかかわらず、森重文は独自の研究を続け、独創的な手法と独自の研究方針(いわゆる「森プログラム」)をつくりあげていったのです。小平、広中がそうであったように森も自らの状況のすべてを「災い転じて福となす」の行動で道を切り開き突き進んできたといえます。森は若者へのメッセージを次のように答えています。
興味を持ったり疑問に思ったりしたことを大切にすることでしょう。多くの場合、簡単に答えらしいものが出せるかもしれませんが、より良い答を求めて、未決として覚えておくのも大事だと思うんです。そして、研究課題を選んだり解こうとして考えたりする場合に、重要だとか解けそうだとかいうことを考えますが、結局最後に残るのは自分の直観でしょう。ここで直観というのは、要するに好きか嫌いかだと思うんです。自分が好きできた道なら最後の階段での一踏ん張りがきくんじゃないでしょうか。有利だ、不利だということで決めるとなかなかそうはならない。こんなはずじゃなかったとかって。
「森重文インタビュー」
(「数学セミナー」1991年2月号臨時増刊 国際数学者会議ICM90 京都、日本評論社)

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近世日本人数学者列伝~森重文~ 

森重文の専門は広中平祐(連載第31回、第32回)と同じ代数幾何学です。多項式の 
零点の集合を代数多様体といいます。例えば図形としての円は、多項式でx2+y2.r2=0 を 
満たす点(x,y) の集合(零点の集合)と言い換えられます。 

【双曲線、平行線、楕円】 ttp://www.toyokeizai.net/public/image/2009012700156331-6.gif 

このように、多項式から多様体(「図形」を一般化・抽象化した概念)をみるのが代数幾何学と 
呼ばれる分野で、代数幾何学とは、代数多様体の性質を調べる分野ということになります。 
そして、「代数多様体の分類」こそ大きな目的となっているのです。森重文自身は 
次のように説明しています。 

  代数幾何とは何かは説明しにくいように言われているけれど、四則演算しか使わない 
  のだから、「図形」が目に見えないということを気にしなければ、それほどでもないと思います。 
  代数幾何とは「連立方程式で表される図形」だから、いくつか絵を描いてそんなものだと 
  いう感じをつかんでもらえればいいんです。抽象画のような絵しか描けないんですけど、 
  論理を追う論理力と想像力というか柔軟さがあれば、そんなに難しいことだとは思いません。 
(「数学セミナー」1991年2月号臨時増刊 国際数学者会議ICM90 京都、日本評論社) 

森重文は新しい手法「端射線の理論」を作り上げて困難とされた3次元多様体の分類と 
双有理変換の研究を可能にしていきました。そして、ついに1988年に「3次元代数多様体の 
極小モデルの存在定理」が証明され、1990年のフィールズ賞受賞に至りました。 
ttp://www.toyokeizai.net/life/hobby/detail/AC/c7913df9f97b986c508ccc67193bf90a/ 


>>> ttp://www.toyokeizai.net/public/image/2009012700156331-6.gif 

こんな小学生でも殴りで二秒で描ける輪郭線やら直線やらを、難解な数式でさも役に立つことのように 
誤魔化す技術が代数幾何学。

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研究について
私の研究分野は代数幾何に含まれてい ます。代数幾何なんて言うと聞き慣れな いかもしれませんが、実はみなさんもそ の初歩は高校で習っています。一番わか りやすい例は単位円。あれはx2+y2=1と いう方程式の解、その全体集合が平面上 で半径1の円を描いているわけです。円 をx2+y2=1という方程式で表していると もいえます。方程式と図形、すなわち代 数と幾何とをスイッチしながら考察して いく、それが代数幾何という学問です。
 私が専門に研究しているのは、極小モデル理論というものです。高度な数学になると考察する図形も3次元以上になる。そうなるともう図として表せない。だから図にできないなりに考えやすいものに変換したいと考えるわけです。そのための変換の手掛かりになる端射線というものを用いて、極小モデルという考えやすい図形に変換していく。そうして図形を分類していくのが主な目的ですね。私としては、どうやったらうまく変換することができるのか、その変換の仕方に特に興味を持っています。


受賞まで
代数幾何との出会いはハーツホーン予 想という未解決問題に取り組んだことで すね。日本で研究していた時は部分的に しか証明することができなかったけど、 留学してからもう一度考えてみたら解く ことができた。その時 に思いついたの が、先ほど述べた端射線なんです。つま りハーツホーン予想という特殊な問題を 解こうとしていたら、端射線という広範 な概念を発見できたわけです。
 この端射線の話を拡張しようとしていて、その過程で極小モデルの存在定理を発見することができた。これがフィールズ賞受賞の大きな要因でした。もちろん解ければいいなと思って研究してはいたけれど、自分が思っていた方向とは違う形で証明できてしまったので、とても驚いた記憶があります。
 授賞式の後は、もう本当に忙しくてなんにも覚えていません。というのは記者からの取材が多くて多くて。授賞式が日本で開催されたこともあいまって、しばらく対応に追われて研究どころじゃありませんでしたね。


数学への思い
 いつから数学に興味を持ち始めたのかと聞かれると困ってしまうけれど、大学に入るときにはすでに数学をやりたいと思っていました。高校のころに受験数学冊子を読んでいて、その懸賞問題に投稿したりしていましたね。受験数学の問題よりも発展的な問題が多くて、考えるのが面白かった。でも、高校の時に大学の内容を進んで学んでいたりはしませんでした。大学での数学に触れたのは大学に入ってからですよ。数学のどこに魅力を感じるかと聞かれ ると、うーん......困るなぁ(笑)。私の 場合は方程式に魅力を感じたんだろう なぁ。高度な代数幾何の対象は図に表し 得ないものなんだけど、その図形の特徴 なら方程式として表すことができる。方 程式には図形の特徴が詰まっているから、 それをつなぎ合わせていけば全体像がつ かめる。だから私は、代数幾何という学 問は抽象画・キュビズムみたいなものだ と考えています。目では見えないものを 別のものを用いて表現していく、そうい うところに魅力を感じるんだと思います。

学生時代
 私が大学に入学した年というのはちょうど大学紛争で東京大学の入試が中止になった年だったんです。それで京都大学に入学したんですけど、入ってすぐ大学が封鎖されて授業が無くなってしまった。みなさんには想像もつかないかもしれないけれど、半年以上大学が機能しなかったんですよ。
しかし私は本当にただ数学がやりた かっただけの学生でしたから、あまり頓 着しませんでしたね。むしろ数学に興味 を持つ同回生と、クラス担任だった数学 の教授にチューターをお願いして自主的 にゼミをやっていました。自分たちで本 をじっくり読み進めて、仲間と議論した り、教授にご指摘を頂いたり......そんな ふうに数学にだけ集中して取り組めたの が大きかったと思います。
余談だけど、よく昼夜は逆転してし まっていましたね。数学に熱中し始める となかなか止まらなくて、気がついたら 外が明るいんですよ。だから実は授業が 始まってからも良い学生とはまったくい えませんでしたね。


京大について
 やはり自由の学風というのは魅力的ですね。私がフィールズ賞を受賞できたのも、学生時代に好きなだけ数学をやることができたからだと思っています。単位にならない上回生向けの講義の聴講が許可されるなど、良い意味で無駄なことを許容する環境がありますね。
 ただ、自由の副作用というか、自由を享受してばかりで責任を放棄してしまう人が多いのは良くないことですね。私自身責任を全うした学生だったかと聞かれると、そこは疑問なんですけど。
研究者の立場から言わせてもらうと、 京大にはスティーブ・ジョブズみたいな 人が多いと思う。みんながあっちなら自分はこっち、というのが京大の研究です。 悪くいえば、ある技術のある性能を少し ずつ向上させていくような研究にはあんまり向いていないかもしれません。でも、 良い意味でとんでもないことをしでかそ うとしている人が多い。
 そういう雰囲気が自分に合っていると感じますね。学生としても研究者としても、京大を選んで良かったと思います。

新入生に一言
 勉強に関しては、疑問に思ったことを簡単に解決してしまわないで、問題意識としてしっかり持っていることが大事だ
と思います。これは研究者を目指す人には特に意識してほしいことですね。
それと自由の学風だからこそ、自分か ら積極的に動いていってほしい。数学だ と、大学でつまずいてしまう人は多い。 それは教員側の問題でもあるのは確かだ けど、そこで不満を垂れて終わってはい けない。理解できないなら、友人と自主 ゼミを開いてみる、教員に直接聞いてみ る、図書館の本で調べてみる......自分か ら働きかけることによって変わってくる ことは多いはずです。
 なんにせよ、何かしないともったいないですよ。学問であれ部活であれ、自分の好きなことにだけ集中できるのは大学時代くらいです。なんでもいいから自分の好きなことをやって、有意義な大学生活を送ってほしいものですね。
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2016/9/9
京大数理研 スターの宝庫 数学者列伝

京都市左京区にある京都大学数理解析研究所。国内で唯一の数学研究所として、現代の優れた数学者を輩出し続けている。

数理研が発足したのは1963年。当時、国内の大学で数学研究所の設立を検討していたところ、数学の研究者が多く活動していた京大に白羽の矢が立った。


現代の数学者を輩出する京都大学数理解析研究所(京都市左京区)


数理研に在籍した研究者はスターぞろいだ。「数学のノーベル賞」といわれるフィールズ賞は日本では3人しか受賞していない。そのうち2人が広中平祐博士(京大名誉教授)と森重文博士(京大特別教授)だ。また金融工学の基礎を築き「ウォール街で最も有名な日本人」といわれた伊藤清博士も60~70年代に在籍した。

数理研の人員は40人程度。国内外の研究者らが参加する研究集会が所内で頻繁に開かれ、少数精鋭で密度の濃い議論が繰り広げられる。森博士は数理研の魅力について「最先端の知識が得られる」と語る。

それでも研究所は決して順風ではない。政府が科学技術予算の配分で再生医療など新産業の育成につながる分野に軸足を移しているからだ。数学は地味といわれ、文部科学省科学技術政策研究所(当時)が「忘れられた科学―数学」という報告書をまとめたこともある。研究予算や人員は厳しく、今後の運営に不安も尽きない。

数理研の向井茂所長は優れた研究者をこれからも輩出するには「若い人に自由な研究をしてもらう環境づくりが大切だ」と力を込める。数学はほかの科学分野に比べて若い時期に優れた研究成果を上げるケースが多いからだ。

関西では商人や庶民が数学を支えてきた歴史がある。向井所長は「民間からの寄付も募っていきたい」と語る。


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素数の歌はとんからり 「数学(整数論):志村五郎、岩沢健吉 高木貞治・・」 (京大教授の加藤和也 と 東工大教授の黒川信重)

素数の歌はとんからり 「数学(整数論):志村五郎、岩沢健吉 高木貞治・・」  (京大教授の加藤和也 と  東工大教授の黒川信重) 



1、2、3……と数を数えるようになって、人間は数学を始めた。その最も基礎を作るのが、2、3、5、7……という、1とそれ以外に割り切る数がない数、素数だ。小川洋子(おがわ・ようこ)(44)のベストセラー「博士の愛した数式」の主人公が最も愛したのは素数だった。

 京大教授の加藤和也(かとう・かずや)(54)も素数の不思議に魅入られてきた。

 素数の歌はとんからり

 とんからりんりんらりるれろ

 耳を澄ませば聞こえます

 楽しい歌が聞こえます

 

 素数の歌はちんからり

 ちんからりんりんらりるれろ

 声を合わせて歌います

 素数の国の愛の歌

 自作「素数の歌」は彼の研究のすべてを表している。たとえば、1番は「素数は、耳を澄まさないと(よく研究しないと)聞こえない(理解できない)」という教訓だし、2番は「ひとつひとつバラバラに見える素数にも相互の関係や全体の構造がある」という意味を込める。講義の最後には、時には踊りも付けて披露している。

 昨年6月、日本学士院賞と恩賜賞を受けた加藤は、皇居でこの「素数の歌」を歌って、天皇、皇后に自らの研究を説明した。後日、皇太子から「ずいぶん面白く説明してくれたので、皇后陛下は喜んでいた」と聞いた。

 ◇

 素数など整数の性質を研究する整数論。95年に解決されたフェルマー予想、最難問といわれるリーマン予想はいずれもこの分野の問題であり、ドイツの大数学者カール・フリードリッヒ・ガウスは、整数論を「数学の女王」と呼んだ。問題を解くのに、あらゆる数学の知識を「しもべ」のごとく扱わねばならないからだ。

 そんな整数論は、日本のお家芸である。日本の数学を世界レベルに引き上げた高木貞治(たかぎ・ていじ)が、1920年、素数と素数の関係をあきらかにする「類体論」を創始したのがきっかけだった。戦後も岩沢健吉(いわさわ・けんきち)、志村五郎(しむら・ごろう)(76)らきら星のように世界的数学者が輩出している。加藤もその系列に属する。

 加藤は東大2年の秋、いったん進学を決めた航空学科がまったく自分に向かないことを悟った。「私は実際的なことはまるでだめ。飛行機の設計なんかしたら恐ろしいことが起こる」。留年中に、高校時代の友人から借りた代数学の教科書を見て、数学に目覚めた。類体論を高度化させ、数の性質を高度な幾何学を駆使して探る「数論幾何学」という新分野のパイオニアともなった。

 加藤の盟友の一人が、東工大教授の黒川信重(くろかわ・のぶしげ)(54)だ。2人とも、ありとあらゆる素数の情報を含む関数「ゼータ(ζ)」=数式参照=にほれこみ、朝起きて夜寝るまで、ゼータについて議論し続けたこともあった。黒川は「すべての話がゼータしていた」と加藤との至福の時間を振り返る。

 しかし、加藤ほどみかけが学者らしくない学者はいないだろう。彼の教授室には紙束が乱雑に積まれ、自分でも何がどこにあるかよくわからない。よれよれのワイシャツ姿で講義に現れ、ちょっと猫背で黒板の前をうろつき回る。

 大学院生に対する指導も変わっている。加藤が助手時代に初めて指導した斎藤秀司(さいとう・しゅうじ)(49)との「教室」は山の中だった。ノートを携えて、歩きながら2人で数学の構想を練る。それから20年余り、東大教授として学生を指導する斎藤は、山々の向こうに数学の真理が見える気がしたのを覚えている。

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 国際数学者会議が今年8月、スペインで開かれた。4年ごとのこの会議で、加藤は1時間の特別講演を依頼された。講演当日、スクリーンに映し出されたのは数式ではなく、日本昔ばなしの「鶴の恩返し」の挿絵だった。「鶴が人間の中で美しい織物を織り上げたように、ゼータ関数は関数の世界から代数の世界に入って美しい公式を織り上げる」と説明すると、会場からは大拍手が起こった。

 数、図形、記号、式……数学は人の脳からあふれ出た思考からできる世界だ。そこに住む純粋で不思議なヒトビト(人々)と、そのなぞの世界を歩き回った。


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フェルマーの最終定理やBSD予想は,整数解や有理数解についての話ですが,それがゼータ関数に関わります.志村五郎さんが言ったように「整数論いたる所ゼータ関数あり」という感じです.(加藤和也)

志村多様体は,代数多様体といわれる代数的な対象であるが,その上に保型形式という解析的な対象が住んでおり,志村多様体は代数側と解析側の橋渡しをし,また,ガロア表現やそのゼータ関数の源となるものである.現在,志村多様体の研究がさかんになされている.(加藤和也)
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素数とは何かという根本問題につながる数学の超難問リーマン予想。ヴェイユ、グロタンディークなど名だたる数学者の果敢な挑戦を受けつつも今なお難攻不落である。なぜリーマン予想は難しいのか。解決に誰も成功しなかったのはどこに原因があったのか。数学者リーマンが提起してちょうど150年という節目に、その苦闘の歴史を辿る。また解決にあたっては、リーマンが夢見た「ゼータ革命」ともいうべき原点に立ち返るべきだと主張する。(黒川重信)

"絶対ゼータ関数論"  - 絶対ゼータ関数、絶対体、絶対代数、絶対ラングランズ対応、絶対極限公式、絶対オイラー積……『オイラー、リーマン、ラマヌジャン』(黒川重信)

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参考
2013 1010頃
数学者が読んでいる本ってどんな本 小谷元子(編集) 東京書籍 森重文 (著), 上野健爾 (著), 足立恒雄 (著),砂田利一 (著), 黒川信重 (著),小谷元子 (著, 編集), 益川敏英 (著), 野崎昭弘 (著), & 5 その他 など
 
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小川洋子 
1962年岡山市生まれ。早稲田大学第一文学部文芸科卒業。88年「揚羽蝶が壊れる時」で海燕新人文学賞を受賞。91年「妊娠カレンダー」で第104回芥川賞を受賞
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( 日本にも「ガウス」はいた! ガウスは、数学の女王は、「整数論」といった! 谷山・志村は「すべての楕円曲線はモジュラーである」といった。)

「日本の「ガウス」である1つの理由
【今日の数学者】2月23日はガウスの命日であり、志村-谷山予想の志村五郎先生のお誕生日であり、フィールズ・メダリストの森重文先生のお誕生日です。」

志村五郎先生 か 森重文先生 か 両先生か

「すべての楕円曲線はモジュラーである」  ( 「谷山=志村予想」は、「志村予想」だった! 先生の「誠実さ、優しさ」)数学の統一理論にも貢献!
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フェルマーの最終定理 【著者】サイモン•シン(青木薫 訳) 【発行】新潮社(新潮文庫) / 「解決!フェルマーの最終定理 現代数論の軌跡」加藤和也著、日本評論社

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文系用読者:「教育者」としてのあの頃の感覚として読む
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フェルマーの最終定理 【著者】サイモン•シン(青木薫 訳) 【発行】新潮社(新潮文庫)


整数に関する問題は、問題を理解するのはやさしいが解くのはとてつもな く難しいことが多い。この本の表題ともなっている「フェルマーの最終定理」 の証明もそのような整数問題の1つであり、アマチュア・プロを問わず 300 年もの間、多くの数学者の挑戦を退けてきた問題である。1995 年最終的に 証明を成し遂げた勝者はアンドリュー・ワイルズという数学者であった。し かし、その証明への取り組みは試練に満ちており、7年間の隠密行動、そし て1度は証明できたと発表して、その後証明に穴があることがわかり1年余 りの間、公にさられた状態での穴埋め作業の末ようやく証明完了というドラ マが書かれています。谷山、志村、岩澤、肥田といった日本人数学者もからみ、困難な問題にチャレンジする人間模様を描いた物語として、一読を。

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理系用読者:「数学者」としてのあの頃の感覚として読む
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【書名】「解決!フェルマーの最終定理 現代数論の軌跡」加藤和也著、日本評論社
( フェルマーの大定理が解けた!―オイラーからワイルズの証明まで (ブルーバックス) 足立恒雄著 新書 )
( フェルマーの大定理―整数論の源流 (ちくま学芸文庫) 足立恒雄著 )
( フェルマーの最終定理 文庫 フェルマーの最終定理 (新潮文庫) サイモン シン(著), 青木 薫 (翻訳) )

 


1993年6月23日に、プリンストン大学のA.ワイルスが、フェルマーの最終定理の証明を宣言し、その後、証明の不備が見つかり、1年以上に苦考の末、1994年9月19日にその修正に成功したこの期間に、著者が証明の解説として数学セミナー読者向けに書いたものを集めたものである。厳密性はないが、極力丁寧に、正確に伝えようとする、著者の誠実さと、理解の深さが伝わってくる。原論文の 1. A. Wiles; Modular elliptic curves and Fermat's last theorem, 2. R. Taylor, A. Wiles; Ring theoretic properties of certain Heck algebras にも、整数論にも、非常に惹きつけられる内容だった。購入時にも読んだと思われるが、詳しく覚えていないところをみると、理解しようとはしていなかったのかもしれない。むろん、今回も十分な時間をかけて読んだとは言えないが。

以下は備忘録

「砂田利一『基本群とラプラシアン、幾何学における数論的方法』」(p.37)「ワイルス『ぼくは、フライとリベットの結果を知ったとき、風景が変化したことに気がついた。(中略)この時まで、フェルマの最終定理は、何千年間もそのまま決して解かれることがなく数学がほとんど注目することがない数論の他の[散発的かつ趣味的な]ある種の問題と同じようなものに見えていた。フライとリベットの結果によって、フェルマの最終定理は、数学が無視することのできない重要な問題の結果という形に変貌したのだ。(中略)ぼくにとって、そのことは、この問題がやがて解かれるであろうと言うことを意味していた』」(p.67)「清水英夫著『保型関数I, II, III』、志村五郎著『Introduction to the theory of automorophic functions』、Knapp『Elliptic curves』、河田敬義著『数論I, II, III』、藤崎源二郎・森田康夫・山本芳彦著『数論への出発』、上野健爾著『代数幾何学入門』、J.H.シルヴァーマン・J.テイト著(足立恒雄〔ほか〕訳)『楕円曲線論入門』、土井公二/三宅敏恒著『保型形式と整数論』、肥田晴三著『Elementary theory of L-functions and Eisenstein series』、吉田敬之著『保型形式論: ─現代整数論講義─』、N.コブリンツ著(上田勝〔ほか〕訳)『楕円曲線と保型形式』」(p.123,4)「田口雄一郎さんの手紙に『Deligne さんの家はこの道の始まりのところ、森の入り口にあります。Deligne さんといへども、森羅万象の真理の最奥に至る道のほんの入口のところにゐるに過ぎないといふ、これは自然による卓抜な比喩であると思われます。ところが、恐ろしいことに彼の子供たちは毎日この道を通って森のむかうの学校に通ってゐるらしいのです。』とありました。フェルマーからの350年は大進歩でしたが、人類が続いてゆけば、それは今後何千年の数学の序曲であり、何段も何段も自然の深奥への新しい段階があることでしょう。」(p.239)「ガウス『どのように美しい天文学上の発見も、高等整数論が与える喜びには及ばない』ヒルベルト『数論には古くからの問題でありながら、今日も未解決のものが少なくない。その意味で、多くの神秘を蔵する分野であるが、他方、そこで展開される類体論のような、世にも美しい理論がある』」(p.245)「岩澤健吉『代数体と、有限体上の一変数関数体は、どこまでも似ていると信じてよい』」(p.246)「志村五郎は『整数論いたる所ゼータ関数あり』と述べたが今その言葉に『ゼータ関数のある所 岩澤理論あり』と続けて考えたい」(p.261)『ゼータ関数のある所 肥田理論あり』ともいえる。

 
「フェルマーの最終定理」を理解したい人(参考 書籍紹介)

N.コブリンツ著(上田勝〔ほか〕訳)『楕円曲線と保型形式』
土井公二/三宅敏恒著『保型形式と整数論』
志村五郎著『Introduction to the theory of automorophic functions』
J.H.シルヴァーマン・J.テイト著(足立恒雄〔ほか〕訳)『楕円曲線論入門』
Knapp『Elliptic curves』
河田敬義著『数論I, II, III』
藤崎源二郎・森田康夫・山本芳彦著『数論への出発』
上野健爾著『代数幾何学入門』
肥田晴三著『Elementary theory of L-functions and Eisenstein series』
清水英夫著『保型関数I, II, III』
吉田敬之著『保型形式論: ─現代整数論講義─』
砂田利一著『基本群とラプラシアン、幾何学における数論的方法』

原論文の
 1. A. Wiles; Modular elliptic curves and Fermat's last theorem, 
 2. R. Taylor, A. Wiles; Ring theoretic properties of certain Heck algebras

<a href="https://www.amazon.co.jp/本-志村-五郎/s?rh=n%3A465392%2Cp_27%3A志村+五郎" target="_blank">志村五郎 書籍(日本語 一般向け)</a>
(一部、数学では、一般向けでないものもあるので注意を)

論文集 (志村五郎)
Collected Papers. I: 1954-1965 (Hardcover ed.). Springer. (2002). ISBN 978-0-387-95406-6.
Collected Papers. II: 1967-1977 (Hardcover ed.). Springer. (2002). ISBN 978-0-387-95416-5.
Collected Papers. III: 1978-1988 (Hardcover ed.). Springer. (2003). ISBN 978-0-387-95417-2.
Collected Papers. IV: 1989-2001 (Hardcover ed.). Springer. (2003). ISBN 978-0-387-95418-9.
など



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参考(やや専門的内容)


Number Theory and Automorphic Forms 整数論と保型形式
http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/689.html

整数論サマースクール 「志村多様体とその応用」

https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~abenori/conf/20150817.html

整数論サマースクール 「保型形式のリフティング」プログラム

http://www.sci.kumamoto-u.ac.jp/~narita/ss2011_proceedings.pdf

整数論サマースクール報告集 「楕円曲線とモジュラー形式の計算」

http://ntw.sci.u-toyama.ac.jp/ss2017/

整数論サマースクール「多重ゼータ値」

http://www.ist.aichi-pu.ac.jp/~tasaka/ss2018/index.html

整数論札幌夏の学校 肥田晴三教授(UCLA)による講義を中心
https://core.ac.uk/download/pdf/42026066.pdf
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ワイルズによるフェルマー予想の解決にも岩澤理論は大きな役割を果たした。 また、これ以外にも日本人数学者の結果が大きく寄与している。例えば、 肥田(晴三)の理論が有効に用いられたし、解決への道筋は谷山・志村予想を 経由するものであった。


 ( 「谷山=志村予想」は、「志村予想」だった! 先生の「誠実さ、優しさ」)
https://www.math.kyoto-u.ac.jp/~tetsushi/nt_seminar.html
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参考(やや専門的内容)


 ・・・・・・・
2018 年整数論サマースクール「多重ゼータ値」
2017 年整数論サマースクール「楕円曲線とモジュラー形式の計算」
2016 年整数論サマースクール「保型形式のp進family入門」
2015 年整数論サマースクール「志村多様体とその応用」
2014 年度整数論サマースクール 「非可換岩澤理論」
2013 年度整数論サマースクール 「p 進簡約群の表現論入門」
2012 年度整数論サマースクール 「Stark 予想」
2011 年度整数論サマースクール 「保型形式のリフティング」
2010 年度整数論サマースクール 「アーサー・セルバーグ跡公式入門」
2009 年度整数論サマースクール 「l 進ガロア表現とガロア変形の整数論」
2008 年度整数論サマースクール 「保型 L 函数」
2007 年度整数論サマースクール 「種数の高い代数曲線と Abel 多様体」
2006 年度整数論サマースクール 「Diophantine Equations」
2005 年度整数論サマースクール 「Hilbert 保型形式」
2004 年度整数論サマースクール 「基本群と Galois 表現」
2003 年度整数論サマースクール 「岩澤理論」
2002 年度整数論サマースクール 「概均質ベクトル空間」
2001 年度整数論サマースクール 「ゼータ関数」
2000 年度整数論サマースクール 「半整数ウェイトの保型形式」
1999 年度整数論サマースクール 「代数群の整数論入門」
1998 年度整数論サマースクール 「楕円曲線とその Arithmetic Moduli」
1997 年度整数論サマースクール 「Siegel 保型形式入門」
1996 年度整数論サマースクール 「Weil 表現入門」
1995 年度整数論サマースクール 「等質空間と保型形式」
1994 年度整数論サマースクール 「志村多様体と保型形式」
1993 年度整数論サマースクール 「アイゼンシュタイン級数について」
  ・・・・・・・
など
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参考

感動!「350年の難問解決! フェルマーの最終定理」 1995年2月13日( 数学[整数論]) 

数学 「350年の難問解決! フェルマーの最終定理」 1995年2月13日( 数学[整数論]) 

京都 VSOPも感動! (谷山・志村予想 がカギ)350年の難問解決! フェルマーの最終定理」 1995年2月13日( 数学[整数論]) 

京都 VSOPも感動!「350年の難問解決! フェルマーの最終定理」 1995年2月13日( 数学[整数論]) 
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素数と宇宙。量子力学と一般相対性理論。分離され停止した空間

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(個人的に、「平成30年間」に影響を受けた書籍(一部分))
参考

平成30年の「120冊」  個人的セレクト 数学書(数理科学関係 編)

平成30年間の31冊  個人的セレクト 数学書(数理科学関係 編) 洋書(英語版)

「令和」に伝えたい数学書籍  選  平成30年間の和書・書籍「120冊」(日本語)と洋書・書籍「31冊」(英語版)
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「誕生日の素数」 知の``継承''が生む創造力 (志村 五郎 米プリンストン大学名誉教授) 2001年11月8日 / 志村五郎先生のダビンチコードは?素数「19300223、209563、 691、55787、313289、23333」

「誕生日の素数」  知の``継承''が生む創造力 (志村 五郎 米プリンストン大学名誉教授) 2001年11月8日 / 志村五郎先生の「誕生日の素数」のダビンチコードは?「19300223、209563、 691、55787、313289、23333」


知の``継承''が生む創造力 (志村 五郎 米プリンストン大学名誉教授) 2001年11月8日





昔から「日本人はまねはうまいが,創造力は乏しい」とよく言われる. 
特に,自然科学の分野では,今日でも著名な学者たちがそう言っている. 

果たしてそうだろうか.私はその逆に,日本人は世界で最も創造力に 
富む国民の中に入るのではないかと思う.歴史的にみて,欧米の科学 
知識を吸収するのに多くの労苦と時間を要したのは当然であって,そ 
れを前提にして考えると,日本の科学者たちは実によくやっている. 

科学というのは,多くの人の業績の積み重ねであって,「ゼロからの 
出発」はあり得ない.私の専門は数学だが,過去五十年間にわたる日 
本の数学者たちの創造的な貢献は目覚ましく,何ら恥ずべきものはな 
い. 

にもかかわらず,常に,その反対が叫ばれるのはなぜか.恐らく,明 
治以後の日本の進歩と発展に驚いた欧米人が,日本人を全面的に称賛 
したくなかったために,ケチを付けようと「まねは上手だが……」と 
言ったのが発端ではないだろうか. 

そして,その言葉を日本人の劣等感と欧米崇拝が,甘受してきた大き 
な理由と思う.また,欧米人と比べると日本人は宣伝が下手で,しか 
も,一般的に言って同国人の仕事(業績)を認めたがらないといった気 
質も加わっているのだろう. 

もし,本当に日本人が創造力に乏しいというのなら,それを証明して 
欲しいものである.私にとって不可解なのは,著名な学者までが自国 
民をけなしている態度である. 

考えてもみよ.世界のどこにそんなことを言って喜んでいる国がある 
か.その上,以前からこの問題を教育方法と結びつけて論じる人がい 
るが,そこに大きな危険が潜んでいることを指摘したい.


「丸暗記を廃して思考力を高めよ」というスローガンに反対する理由 
もないが,それを叫ぶのはほとんど無意味である.特に,そこから「 
教える分量を減らせ」という結論を引き出すのは誤りだ. 

それを論ずる前に,まず科学のある重要な考え方は,その創始者にと 
っては多大な努力の後の到達点であっても,次の世代にとってはそれ 
が当たり前の常識になって,次の発展の母胎になるという事実を忘れ 
てはならない.それは研究者の間だけに当てはまるものではなく,一 
般社会においてもそうである.例えば,毎日接する「降水確率」に使 
われている確率という概念がよい例である. 

そう考えてみると,確率ばかりではなく,教えられるき事実や概念の 
分量の多くは,それはますます増えていくだろう.もちろん古くて重 
要性を失ったものは切り捨てて,新しいものと置き換えられるべきだ 
が,その作業は専門教育でも一般教育でも慎重に行わなければならな 
い.大学生の学力低下は現実に起きているのである. 

付け加えると,まねが上手なのは良いことで,それもできないようで 
は何もできない.「まねは上手だが創造力はない」などと,それこと 
人の口まねのようなことを言うのはやめて欲しいものである.まして, 
それを教育方法,特に,教える分量に結びつけるのは実に愚劣だ. 

はじめに戻って欧米人について言うと,彼らの中には,日本人のまね 
をして,あたかも自分の独創のように上手に宣伝するものがいる.い 
まもって,彼らが全体としてそうした卑劣な能力を失ったわけではな 
いから,日本人の仕事が公平に評価されていると思ってはならない. 

だから宣伝上手になれとは言わないが,若き世代へ私の忠言は,いか 
なる研究も中途半端にせず,どうしても認めさせずにはおかない水準 
にまで撤底的にやれということである.創造はしばしば撤底から生ま 
れ,そしてまた,若き諸君にそれができるはずなのである. 

大阪大学教授などを歴任.95年に自然科学者に贈られる藤原賞を受賞. 
71歳. 「論点」読売新聞,2001年11月8日

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「谷山=志村予想」は「志村予想」!(フェルマーの最終定理の証明は、「志村予想」がカギであった。)

志村さんは整数論が専門。1950年代~60年代に、故谷山豊・東京大助教授と共に楕円(だえん)曲線の性質に関する「谷山=志村予想」を提唱。この予想を手がかりに、提示から350年以上数学者を悩ませてきた整数論の難問、フェルマーの最終定理が、英国のアンドリュー・ワイルズさんによって95年に証明された。

 東大卒業後、同大助教授などを経て、64年から99年までプリンストン大教授を務めた。77年に米数学会「コール賞」、91年度に朝日賞を受賞した。

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志村五郎先生の「誕生日の素数」のダビンチコードは?

志村五郎先生の「ダ・ヴィンチ コード」は、19300223、209563、 691、55787、313289、23333である。

「誕生日の素数」とは・・・生年月日から「数」をつくり、その数を「素因数分解」して、最大素数を構成する「数のゲーム」である。



志村五郎(1930年2月23日)
の「誕生日の12次元」の「数」
「数」⇔「反転数(鏡の数)」


1.19300223⇔32200391
2.23051930⇔3915032
3.2231930⇔391322
4.19302302⇔20320391
5.2193023⇔3203912
6.23193002⇔20039132

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志村五郎(1930年2月23日)の「6つの数 (6 Number)シックスナンバー」
1.19300223
2.23051930
3.2231930
4.19302302
5.2193023
6.23193002

志村五郎(1930年2月23日)の「6つの反転数 (6 Inversion Number)シックス・インバージョン・ナンバー」
7.32200391
8.3915032
9.391322
10.20320391
11.3203912
12.20039132
///////////////////////

問1 志村五郎(1930年2月23日)の場合
「数」を「素因数分解」する。
12Number(12ナンバー)
12Prime factorization(12個の素因数分解)
1.19300223=
2.23051930=
3.2231930=
4.19302302=
5.2193023=
6.23193002=
7.32200391=
8.3915032=
9.391322=
10.20320391=
11.3203912=
12.20039132=

(すごい「素数」が存在する?)

問A 志村五郎(1930年2月23日)の場合
「数」→ 「APS素数」
12Number(12ナンバー)→ 12Prime(12プライム)
1.19300223→ 
2.23051930→ 
3.2231930→ 
4.19302302→ 
5.2193023→ 
6.23193002→ 
7.32200391→ 
8.3915032→ 
9.391322→ 
10.20320391→ 
11.3203912→ 
12.20039132→ 
/////
親子孫(家族)で計算してみよう!(歴史上の人物や有名人等の誕生日を調べで「研究」してみよう!

解答は下

参考
http://number006aps.blog.jp/archives/1074795205.html

///////////////////////
「誕生日の素数」とは・・・

レオナルド・ダ・ヴィンチの6つの「素数の暗号」
「ダ・ヴィンチ コード」は、97、3760363、2477、453797、2027、571 である。
///////////////////////
レオナルド・ダ・ヴィンチは、1452年4月15日生まれらしい。

映画「ダ・ヴィンチ コード」に影響をうけ、誕生日から「ダ・ヴィンチ コード」を探してみた。
レオナルド・ダ・ヴィンチの「素数の暗号」です。
この誕生日のから、「年」、「月」、「日」から6つの「数」をつくる。
これを「6つの数(6 Number)シックスナンバー」となづける。
1.14520415
2.15041452
3.4151452
4.14521504
5.4145215
6.15145204

この6つの数を素因数分解し、その因数のうち「最も大きな素数(APS素数)」の6つができる。
ダ・ヴィンチの6つの「素数の暗号」が「ダ・ヴィンチ コード」である。
注:6つの「数」を作り方は、「ルール(規則)」を参照のこと。
///////////////////////
計算手順1
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年4月15日)の場合
「6つの数(6Number)」の素因数分解する。
1.14520415=5 * 7 * 7 * 13 * 47 * 97
2.15041452=2 * 2 * 3760363
3.4151452=2 * 2 * 419 * 2477
4.14521504=2 * 2 * 2 * 2 * 2 * 453797
5.4145215=5 * 409 * 2027
6.15145204=2 * 2 * 19 * 349 * 571
ダ・ヴィンチGCD
///////////////////////
計算手順2
レオナルド・ダ・ヴィンチ(1452年4月15日)の場合
素因数分解した数より、最も大きな数を選ぶ。
「最も大きな数」=「APS素数」

1.14520415→97
2.15041452→3760363
3.4151452→2477
4.14521504→453797
5.4145215→2027
6.15145204→571
「ダ・ヴィンチ コード」は、「97、3760363、2477、453797、2027、571」 である。
///////////////////////
6Prime(シックス・プライム)は、「6つの数(6 NUMBER)シックスナンバー」それぞれを素因数分解し、その因数のうち「最も大きな素数(APS素数)」の6つのことである。
「6つの数(6Number)」も「APS素数」も同じ「数」の場合もある。
///////////////////////
ルール(規則)
「6つの数(6 Number)シックスナンバー」の謎(なぞ)へ
「6つの数(6 Number)シックスナンバー」は、「年」、「月」、「日」から「数」をつくる。
1.「年月日」: (YYYY年MM月DD日)の「YYYYMMDD」の「数」を使います。(日本形式)(年→月→日)
2.「日月年」: (DD日MM月YYYY年)の「DDMMYYYY」の「数」を使います。(ヨーロッパ形式)(日→月→年)
3.「月日年」:(MM月DD日YYYY年)の「MMDDYYYY」の「数」を使います。(アメリカ形式)(月→日→年)
4.「年日月」:(YYYY年DD日MM月)の「YYYYDDMM」の「数」を使います。(「ある地域(国)」形式)(年→日→月)
5.「月年日」:(MM月YYYY年DD日)の「MMYYYYDD」の「数」を使います。(「天空の城」形式)(月→年→日)
6.「日年月」:(DD日YYYY年MM月)の「DDYYYYMM」の「数」を使います。(宇宙の形式)(日→年→月)

1879年3月14日の場合
1.YYYY.MM.DD=1879.03.14 「DDMMYYYY」=18790314
2.DD.MM.YYYY=14.03.1879 「MMDDYYYY」=14031879
3.MM.DD.YYYY=03.14.1879 「YYYYDDMM」=3141879
4.YYYY.DD.MM=1879.14.03 「MMYYYYDD」=18791403
5.MM.YYYY.DD=03.1879.14 「MMYYYYDD」=3187914
6.DD.YYYY.MM=14.1879.03 「DDYYYYMM」=14187903

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つまり、人は誰でも「ダ・ヴィンチ コード」をもっている。
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レオナルド・ダ・ヴィンチの6つの「素数の暗号」
「ダ・ヴィンチ コード」は、97、3760363、2477、453797、2027、571 である。
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解答例
問1  志村五郎(1930年2月23日)の場合

「数」を「素因数分解」する。
12Number(12ナンバー)

12Prime factorization(12個の素因数分解)

1.19300223=19300223(なんと素数!)
2.23051930=2 * 5 * 11 * 209563
3.2231930=2 * 5 * 17 * 19 * 691 ( 「17」 と 「691」 )
4.19302302=2 * 173 * 55787
5.2193023=7 * 313289
6.23193002=2 * 7 * 71 * 23333 ( あの 「71」)
7.32200391=23 * 1400017
8.3915032=2 * 2 * 2 * 11 * 17 * 2617
9.391322=2 * 23 * 47 * 181
10.20320391=7 * 13 * 13 * 89 * 193
11.3203912=2 * 2 * 2 * 31 * 12919
12.20039132=2 * 2 * 5009783

問A 志村五郎(1930年2月23日)の場合
「数」→ 「APS素数」
12Number(12ナンバー)→ 12Prime(12プライム)

1.19300223→ 19300223
2.23051930→ 209563
3.2231930→ 691
4.19302302→ 55787
5.2193023→ 313289
6.23193002→ 23333
7.32200391→ 1400017
8.3915032→ 2617
9.391322→ 181
10.20320391→ 193
11.3203912→ 12919
12.20039132→ 5009783
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志村五郎先生の6つの「素数の暗号」
「ダ・ヴィンチ コード」は、19300223、209563、 691、55787、313289、23333である。
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http://rikezyo00sumaho.blog.fc2.com/blog-entry-1.html
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参考

感動!「350年の難問解決! フェルマーの最終定理」 1995年2月13日( 数学[整数論]) 

数学 「350年の難問解決! フェルマーの最終定理」 1995年2月13日( 数学[整数論]) 

京都 VSOPも感動! (谷山・志村予想 がカギ)350年の難問解決! フェルマーの最終定理」 1995年2月13日( 数学[整数論]) 

京都 VSOPも感動!「350年の難問解決! フェルマーの最終定理」 1995年2月13日( 数学[整数論]) 
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現代数学の話題からモジュラー形式、保型形式の周辺の数学概念を一括して紹介する。

モジュラー形式 modular form

モジュラー群という大きな群についての対称性をもつ上半平面上の複素解析的函数。モジュラー

形式は、モジュラー群あるいは合同部分群のひとつを離散部分群として持つ SL2(R)(特殊線型

群)や PSL2(R)(射影特殊線型群)の上に定義された保型形式である。この意味では、保型形
式の理論はモジュラー形式の理論の拡張である。
 

モジュラー群 modular group
a, b, c, d を整数とし ad − bc = 1 としたとき、↦ (az + b) / (cz + d) が形作る複素上半平面

の一次分数変換の群である。作用の群は、写像の合成である。この変換群は、特殊射影線型群PSL(2, Zに同型であり、この群は整数上の 2-次元の特殊線型群 SL(2, Zをその群の中心 {I, I}で割った商である。言い換えると、PSL(2, Zは、a, b, c, d を整数とし ad − bc = 1 として、さ らに行列のペア と -A を同一視したときのすべての行列から構成される。群の作用は通常の 行列の積である。
 

モジュラー函数 modular function

重さ 、つまりモジュラー群の作用に関して不変であるモジュラー形式のこと。そしてそれゆ

えに、直線束の切断としてではなく、モジュラー領域上の函数として理解することができる。

また、「モジュラー函数」はモジュラー群について不変なモジュラー形式であるが、無限遠点

で f(zが正則性を満たすという条件は必要ない。その代わり、モジュラー函数は無限遠点では

有理型である。

モジュラー形式論は、もっと一般の場合である保型形式論の特別な場合であり、従って現在で
は、離散群の豊かな理論のもっとも具体的な部分であると見ることもできる。
 

保型形式 automorphic form

位相群 上で定義された複素数(あるいは複素ベクトル空間)値の函数で、離散部分群 Γ ⊂ 

作用の下に不変なもの。保型形式は、ユークリッド空間における周期函数(これは離散位相群と

しての 1次元トーラス上の函数と見なされる)を一般の位相群に対して一般化したもの。

アンリ・ポアンカレ (Henri_Poincaré) は、三角函数や楕円函数の一般化として、最初に保型形


式を発見した。ラングランズ予想を通して、保型形式は現代の数論で重要な役割を果たす。

ラングランズ・プログラム Langlands program は、代数的整数論におけるガロア群の理論を、
局所体およびそのアデール上で定義された代数群の表現論および保型形式論に結び付ける非常

に広汎かつ有力な予想網である。同プログラムは Langlands により提唱された。

非常に広い脈絡において、既存の概念を用いて、ラングランズプログラムは構築される。これ

には例えば、それより少し前にハリッシュ=チャンドラ と Gelfand が定式化していたカスプ形

式の哲学や、半単純リー群に関するハリシュ=チャンドラの手法及び結果、セルバーグの跡公

式などが含まれる。

初めこそ非常に新しかったラングランズの研究も、技術的に深められる中で、豊かに体系立っ

た仮説的な構造,いわゆる函手性を伴って数論との直接的な繋がりを提示するものとなった。

例えば、ハリッシュ=チャンドラの仕事において、半単純(あるいは簡約)リー群に対してで

きることは、任意の代数群に対してできるはずであるという原理を見ることができる。従って、

その手法というのは、既に知られていたモジュラ形式論における GL(2) や、後から認識される

ようになった類体論における GL(1) などの、ある種の低次元リー群が果たす役割を、少なくと

も一般に > 2 に対する GL(nについての考察を明らかにすることであるということができる。


リー代数が半単純であるとは単純リー代数(自分自身と0以外にイデアルを持たないような非可

換リー代数)の直和となる事をいう。

カスプ形式の概念の出所は、モジュラー曲線上のカスプのみならずスペクトル論においても

(アイゼンシュタイン級数からの連続スペクトルと対照を成す)離散スペクトルとも見ること

ができる。より大きなリー群に対してカスプ形式を考えることは、放物型部分群 の数が膨大に
なるため、より技巧的な扱いを要する。

こういった手法の何れにおいても技術的な近道となる方法はなく、しばしば本来帰納的でとり

わけレヴィ分解 に基づいているが、その分野は昔も今も非常に多くのことが要求される。

モジュラー形式の側からは、例えばヒルベルトモジュラー形式、ジーゲルモジュラー形式、テタ級数などの例があった。

(対象)ラングランズ関連の予想は無数にあり、さまざまな体上の様々な群に対するラングランズ予想 が、あるいは各体に対する様々な形のラングランズ予想が定式化される。ラングランズ予想の 中には、非常にあいまいな形であったり、存在もよく分からないラングランズ群や互いに同値 でない複数の定義を持つ L-群に依存した形になっていたりするようなものも存在する。そうし てさらに、ラングランズが1967年に最初に提示したものよりもラングランズ予想は深められて いった。 ラングランズ予想を述べることのできる様々に異なった種類の対象として、以下のものを挙げ ることができる:

局所体上で定義された簡約代数群の表現。局所体に含まれる体のクラスとして、アルキメデス 局所体(または C)、p-進局所体(Qの有限次拡大)、函数体の完備化(有限体上の形式

ローラン級数体 F((t)) の有限次拡大)がある。 大域体上で定義された簡約代数群上の保型形式。大域体に含まれる体のクラスには、代数体や 代数函数体が含まれる。

有限体

ラングランズ自身はこれを予想の範疇に含めてはいなかったが、ラングランズの予想のアナロ
ジーで有限体に対するものがある。
複素数体上の函数体のような、より一般の体。

(ラングランズ予想)ラングランズ予想の述べた方は様々に異なった方法があり、それらは密接に関連しているが、 それらの同値性については明らかなことではない。

(相互律)ラングランズプログラムの出発点は、二次の相互律を一般化したアルティンの相互律であると 考えられる。アルティンの相互律は、ガロワ群が可換であるような代数体のガロワ拡大に適用 して、L-函数をガロワ群の一次元表現に対応させ、さらにそれら L-函数がある種のディリクレL-級数やヘッケ指標から構成されるより一般の級数(つまり、リーマンゼータ函数のある種の 対応物)と同一視できることを主張するものである。これら種々の異なる L-函数の間の具体的 な対応が、アルティンの相互律を構成しているのである。 非可換なガロワ群やその高次元表現に対しても、L-函数は自然な方法で定義することができる (アルティン L-函数)。 ラングランズの考察は、アルティンの主張をより一般の仮定の下で定式化することを許すよう な、ディリクレ L-函数の真の一般化を求めることであった。

(保型形式論)
ヘッケは既に、ディリクレ L-函数を保型形式(の上半平面上で定義される正則函数である種 の函数等式を満たすもの)に関連付けていたが、ラングランズはそれを(有理数体 のアデー ル環 上で定義される一般線型群 GL(nAの無限次元既約表現の一種である)保型尖点表現に 対して一般化した。(のアデール環というのは、の任意の完備化を一斉に扱ったようなも のである)。
ラングランズは、保型 
L-函数をその保型表現に対応させ「任意のアルティンのL-函数が、代数 体のガロワ群の有限次元表現から生じることと、保型尖点表現から生じることとは等しい」と

予想した。これをラングランズの「相互律予想」という。一口に言えば、相互律予想は簡約代 数群の保型表現とラングランズ群からL-群への準同型との間の対応を与えるものである。この

相互律は、ラングランズ群や L-群の定まった定義がないために、いくつものバリエーションが ある。局所体上での相互律は、局所体上の簡約代数群の既約許容表現のL-パケットの径数付け を与えることが期待される。例えば、実数体上での相互律は実簡約代数群の表現のラングラン ズ分類 であり、大域体上では保型形式の径数付けを与える。

ディリクレのL-関数 Dirichlet L-functionリーマンゼータ関数を一般化したものである。算術級数中の素数の分布の研究に基本的な関数 である。実際ディリクレは、初項と公差が互いに素であるような等差数列には無限に素数が含 まれること(算術級数定理)を証明するために、この関数を導入した。

(関手性)函手性予想の主張するところは、L-群の適当な準同型が(大域体の場合の)保型形式や(局所 体の場合の)表現の間の対応を与えることが期待されるということである。簡単にいえば、ラ ングランズの相互律予想は函手性予想のうちで簡約代数群が自明である特別の場合である。

(一般化された関手性)
ラングランズは函手性の概念を、一般線型群 GL(nの代わりに他の連結簡約代数群を用いるこ とができるように一般化した。さらにラングランズは、そのような群 に対してラングランズ 双対群 LG を構成して、の任意の保型尖点表現と LG の任意の有限次元表現に対し、ある種 の L-函数を定義した。ラングランズの予想の一つは、この L-函数が既知の L-函数の函数等式 を一般化したある種の函数等式を満足することを主張する。 こうしてラングランズは、非常に一般な「函手性原理」を定式化するに至る。これは、二つの 簡約代数群とそれらに対応する L-群の間の(素性の良い)準同型が与えられたとき、これらの 群の保型表現はその L-函数に対して整合的な仕方で関連することを予想するものである。この 函手性予想からは、これまでにあった全ての予想が系として導かれる。これは誘導表現 の構成 の特質である(もっと従来からの保型形式論において「持ち上げ」と呼ばれていたもので、特 別な、従って(表現の制限が反変的であるのに対して)共変的であるような場合が知られてい た)。直接的な構成を明示的に述べることが試みられたが、いくらか限定的な結果が得られた だけであった。
これらすべての予想を、有理数体 
に替えてより一般の体、例えば(もともとの予想であり、 最も重要な場合である)代数体や局所体、あるいは(素数 に対するp-元体 F上の有理函数 体 Fp(tの有限次拡大体であるような)函数体に対して定式化することができる。

(幾何学的ラングランズ予想)ドリンフェルトのアイデアに従ってローモンの提唱した、いわゆる幾何学的ラングランズプロ グラムは、通常のラングランズプログラムを幾何学的に定式化しなおして、単に既約表現だけ

を考える以上のものを関連付けようとして生じたものである。単純な場合だと、代数曲線のエ タール基本群の l-進表現を、その曲線上のベクトル束のモジュライスタック(moduli stack)上で

定義された l-進層の導来圏の対象に関連付ける。

(現在の状況)
▪ GL(1, Kに対するラングランズ予想は類体論から従う(本質的には同じもの)

ラングランズ自身は、アルキメデス局所体(および C)に対するラングランズ予想を、既約表現 に対するラングランズ分類を与えて肯定的に解決している。 ルスティックによる有限体上のリー型の群の既約表現の分類は、有限体に対するラングランズ 予想に相当するものと考えられる。 ワイルズによる有理数体上の半安定楕円曲線のモジュラー性の証明は、ラングランズ予想の一 部と見做すことができるが、ワイルズの方法を任意の数体上に拡張することはできない。 有理数体上の二次一般線型群 GL(2, Qに対するラングランズ予想は未解決。 ラフォルグは函数体 上の一般線型群 GL(nKに対するラングランズ予想を保証するラフォル グの定理を示した。これは GL(2, Kの場合を示したウラジーミル・ドリンフェルトの先行研究 に続くものである。

(局所ラングランズ予想)
Kutzko は、局所体上の二次一般線型群 GL(2, Kに対する局所ラングランズ予想を証明した。一 般次元の場合には、 Laumon, Rapoport, and Stuhler が、大域理論を含む論法を以って正標数 局所体 上の一般線型群 GL(nKに対する局所ラングランズ予想を証明し、標数 の局所体上 の一般線型群 GL(nKに対する局所ラングランズ予想は Taylor and Harris の証明や、あるいはHenniart の証明などがある(何れも大域的な議論を用いるものである)

(ラングランズプログラムの基本補題)
2008年にゴ・バオ・チャウ Ngô Bo Châu は、基本補題と称される補助的だが非常に難しい主 張を示した。基本補題はもともとラングランズ自身によって1983年に述べられたものである。

導来圏 Derived category

アーベル圏A導来圏 Derived category D(A)はホモロジー代数から構成されるもので、A上に定 義された導来函手の理論を精密化するとともに、ある意味で単純化するべく導入された。その 構成は基本的には次の様に進む:まず圏D(A)の対象はAの双対鎖複体であり、次に2つのその様 な双対鎖複体の間にチェイン写像が存在してコホモロジーを取った段階で同型を誘導する場合 に同型であると考えるのである。このとき、導来函手は双対鎖複体に対して定義され、超コホ モロジーの考えを精密化したものとなる。これらの定義により、煩雑なスペクトル系列を用い て(完全に忠実ではなく)記述されるよりほか無かった式は劇的に簡素化される。
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