NHK   (明日、夜放送! 全4回)数学ミステリー白熱教室 ラングランズ・プログラムへの招待   数学を統一する 数学の理論(特に対称性)の後!「楕円曲線」「表現論」「保型形式論」・・・

数学にも統一理論がある!  「数学における統一理論」をどう語るか? 楽しみ!


動画
数学ミステリー白熱教室 (第1回から第4回)動画(フェルマー予想 から ラグランズプログラム)
https://www.youtube.com/watch?v=octSjc1Sk2U&list=PL6iz98WS2YpRGR2egcplCqKnx6PBr3czn


[Eテレ]
2015年11月13日(金) 午後11:00~午後11:55(55分)
対称性(第1回のキーワード 予想)

2015年11月20日(金) 午後11:00~午後11:55(55分)
ガロア理論 ガロア群(第2回のキーワード 予想)

2015年11月27日(金) 午後11:00~午後11:55(55分)
谷山–志村予想 ・フェルマーの最終定理(第3回のキーワード 予想)

2015年12月06日(金) 午後11:00~午後11:55(55分)
スーパーストリング理論 (超弦理論 超ひも理論) (第4回のキーワード 予想)

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参考

http://www.kurims.kyoto-u.ac.jp/~kyodo/kokyuroku/contents/689.html


https://www.ms.u-tokyo.ac.jp/~abenori/conf/20150817.html


http://www.sci.kumamoto-u.ac.jp/~narita/ss2011_proceedings.pdf


http://ntw.sci.u-toyama.ac.jp/ss2017/


http://www.ist.aichi-pu.ac.jp/~tasaka/ss2018/index.html


https://core.ac.uk/download/pdf/42026066.pdf


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ワイルズによるフェルマー予想の解決にも岩澤理論は大きな役割を果たした。 また、これ以外にも日本人数学者の結果が大きく寄与している。例えば、 肥田(晴三)の理論が有効に用いられたし、解決への道筋は谷山・志村予想を 経由するものであった。


数論合同セミナーのページ

https://www.math.kyoto-u.ac.jp/~tetsushi/nt_seminar.html

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「ラングランズ・プログラム」入門。数学には「数論」「調和解析」「幾何学」などさまざまな分野がある。しかしそれらの間に、どうやら奇妙なつながりが存在するらしいことがこの50年間で少しずつ分かってきた。実はそれらの分野を互いにつなぎ合わせ、いわば「数学の大統一理論」を作ろうというチャレンジこそが、現代数学の最大の課題なのだという。学校では学ばない数学の未知の姿が明らかになる!

NHK 数学ミステリー白熱教室

数学界最大の謎の一つ「ラングランズ・プログラム」。数学の様々な分野につながりがあるはずだというこの予想が証明されれば、数学のあらゆる難問が解決するかもしれないという。数学の最先端に、今注目のエドワード・フレンケル教授がご案内する!




素数と宇宙。量子力学と一般相対性理論。分離され停止した空間




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4回シリーズで第1回は2015年11月13日の午後11時から。つまり今夜ですよ。皆さん、必ずご覧ください。

ラングランズ・プログラムといえば、フェルマー・ワイルズの定理や佐藤・テイト予想などの話の際には必ず出てくる予想です。(志村五郎先生も出てくるね!? どうかな? )

楽しみです!

素粒子コンピュータとも関係? 素数だから「リーマン予想」とも関係?
楽しみです!
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ラングランズプログラム(英: Langlands program)は、代数的整数論におけるガロワ群の理論を、局所体およびそのアデール上で定義された代数群の表現論および保型形式論に結び付ける非常に広汎かつ有力な予想網である。同プログラムは Langlands (1967, 1970) により提唱された。

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谷山–志村予想 (第3回のキーワード)

谷山・志村予想(たにやましむらよそう、Taniyama–Shimura conjecture)は、「すべての有理数体上に定義された楕円曲線はモジュラーであろう」という数学の予想。

証明されて定理となったので、モジュラー性定理またはモジュラリティ定理 (modularity theorem) と呼ばれることもある。(本記事では、この三つの用語を区別することなく使用する)

アンドリュー・ワイルズ (Andrew Wiles) は、半安定楕円曲線の谷山・志村予想を証明し、それによってフェルマーの最終定理を証明した。後に、クリストフ・ブロイル(英語版)(Christophe Breuil)、ブライアン・コンラッド(英語版)(Brian Conrad)、フレッド・ダイアモンド(英語版)(Fred Diamond)、リチャード・テイラー(Richard Taylor)は、ワイルズのテクニックを拡張し、2001年にモジュラリティ定理を完全に証明した。

モジュラリティ定理は、ロバート・ラングランズ(Robert Langlands)によるより一般的な予想の特別な場合である。ラングランズ・プログラムは、保型形式、あるいは保型表現(automorphic representation)(適切なモジュラ形式の一般化)を、例えば数体上の任意の楕円曲線のような、より一般的な数論幾何の対象へ関連付ける方法を探している。これらの拡張された予想の場合は、現在のところほぼ証明されていない。

フェルマーの最終定理(第3回のキーワード)

ガロア理論 (第2回のキーワード)
ガロア理論(ガロア-りろん、Galois theory)は、代数方程式や体の構造を "ガロア群" と呼ばれる群を用いて記述する理論。 1830年代のエヴァリスト・ガロアによる代数方程式の冪根による可解性などの研究が由来。 ガロアは当時、まだ確立されていなかった群や体の考えを方程式の研究に用いていた。

ガロア理論によれば、"ガロア拡大" と呼ばれる体の代数拡大について、 拡大の自己同型群の閉部分群と、拡大の中間体との対応関係を記述することができる。


ガロア群
ガロア群(英:Galois Group)とは、代数方程式または体の拡大から定義される群のことである。発見者であるフランスの数学者エヴァリスト・ガロアから命名された。これらの群を用い方程式などの数学的対象について研究する分野をガロア理論と呼ぶ。

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フェルマーの最終定理への道~調和解析の対称性(Eテレ,11月27日(金) 午後11:00~11:55) フェルマーの最終定理は志村・谷山・ヴェイユ予想で解決.「あらゆる三次方程式の解を数える数論の問題に対し,調和解析のモジュラー形式が存在する」

数学ミステリー白熱教室第3回目 楕円曲線 y^2+y=x^3-x^2 を例に楕円曲線に保型形式が対応するという「志村・谷山・ヴェイユ予想」について解説。フェルマー予想はその帰結。

楕円曲線y^2+y=x^3-x^2で佐藤・テイト予想を数値的に確認。 この楕円曲線はE.フレンケルさんの数学ミステリー白熱教室の第3回目でも使われています。「いつものあれ」!


2015 1129

数学の大統一に挑む エドワード・フレンケル (NHK 「数学ミステリー白熱教室」)

https://books.bunshun.jp/sp/sugaku


2015 1113

『数学の大統一に挑む』、NHK 『数学ミステリー白熱教室』

http://kameleon-kameleon.blogspot.com/2015/11/blog-post_29.html


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対称性(第1回のキーワード)
対称性
対称性(たいしょうせい)、またはシンメトリー(ラテン語・ギリシャ語:symmetria, 独:Symmetrie, 英:symmetry)とは、ある変換に関して不変である性質である。

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数学と物理のつながり
スーパーストリング理論  (第4回のキーワード)
スーパーストリング理論 (超弦理論 超ひも理論)

宇宙のすべてを明らかにする究極の理論

スーパーストリング理論(超ひも理論)は、アルバート・アインシュタインの夢見た統一理論の候補であり、宇宙の物質やエネルギー、さらに時空の姿を明らかにするもっとも有力な究極の理論といわれています。この理論は1974年、ハンガリー出身でカリフォルニア工科大学の理論物理学者シュワルツによって提唱されたものです。理論の内容は、振動する10の-33乗cm程度の大きさのひもが基本単位であり、その振動の仕方やエネルギーによってすべての素粒子ができるというものです。

力の統一理論や重力の問題が解決される可能性も

スーパーストリング理論は、自然界のすべての物質は点状の素粒子ではなく、ひもからできているという考え方からはじまっています。点状の粒子をもとに量子効果を計算すると、無限大になってしまうのですが、ひもに拡張するとそれらが有限になるのです。その結果、この研究が進展するにつれ、これまでの物理学の課題であった力の統一理論や重力の問題が解決する可能性が出てきました。

未完成ながらも21世紀に大いに期待できる理論

スーパーストリングス理論は、もちろん宇宙論にも影響を与えています。この理論に基づく宇宙論では、宇宙は9次元の空間と1次元の時間で誕生し、誕生の10の-43乗秒後くらいで6つの空間の次元が縮み、残された1次元の時間と、膨張した3次元空間とで現在の宇宙が形成されたとされています。この6つの縮んだ次元は、小さすぎて人間の目には見えないのですが、およそ10の-33乗cmくらいまで小さくなっていると考えられています。スーパーストリング理論の「スーパー(超)」は超対称性理論の「超」なので、このことからこの理論は力の統一とともに、物質と力の統一をも含んでいることがわかります。残念ながら、このスーパーストリング理論は、なぜ6つの次元が縮んだのか、クォークなどの粒子をどうつくり出すのか、といった基本的な問題が非常に難解なためまだ完成していません。しかし、21世紀に期待できる物理学であるということはいえそうです。

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超弦理論(ちょうげんりろん、英: superstring theory)は、物理学の理論、仮説の1つ。物質の基本的単位を、大きさが無限に小さな0次元の点粒子ではなく、1次元の拡がりをもつ弦であると考える弦理論に、超対称性という考えを加え、拡張したもの。超ひも理論、スーパーストリング理論とも呼ばれる。

宇宙の姿やその誕生のメカニズムを解き明かし、同時に原子、素粒子、クォークといった微小な物のさらにその先の世界を説明する理論の候補として、世界の先端物理学で活発に研究されている理論である。この理論は現在、理論的な矛盾を除去することには成功しているが、なお不完全な点を指摘する専門家もおり、また実験により検証することが困難であろうとみなされているため、物理学の定説となるまでには至っていない。

概論

超弦理論が登場する以前に最も小さなスケールを記述した理論は場の量子論である。そこでは粒子を点、すなわち点粒子として扱ってきた(局所場の理論に代わる、広がりを持った粒子の概念を導入したS行列理論や非局所場理論などもあった)。一方、超弦理論では粒子を弦の振動として表す。1960年代、イタリアの物理学者、ガブリエーレ・ヴェネツィアーノが核子の内部で働く強い力の性質をベータ関数で表し、その式の示す構造が「弦 (string)」によって記述されることに南部陽一郎、レオナルド・サスキンド、ホルガー・ベック・ニールセンらが気付いたことから始まる。

弦には「閉じた弦」と「開いた弦」の2種類を考えることができ、開いた弦はスピン1のゲージ粒子(光子、ウィークボソン、グルーオンなどに相当)を含み、閉じた弦はスピン2の重力子を含む。開いた弦の相互作用を考えるとどうしても閉じた弦、すなわち重力子を含まざるを得ない。そのため、強い力のみを記述する理論と捉えることは難しいことが分かった。

逆に言えば、弦を基本要素と考えることで、自然に重力を量子化したものが得られると考えられる。そのため、超弦理論は万物の理論となりうる可能性がある。超弦理論は素粒子の標準模型の様々な粒子を導出しうる大きな自由度を持ち、それを元に現在までに様々なモデルが提案されている。

このように極めて小さい弦を宇宙の最小基本要素と考え、自然界の全ての力を数学的に表現しようというのが、いわゆる弦理論(超弦理論、M理論を含む)の目指すところである。

この理論の想定する「ひも」の大きさが実証不可能に思えるほど小さい(プランク長程度とすると 10-35m)ことなどから、物理学の定説としての地位を得るには至っていない。また今後実証されるかどうかも未知数の理論である。

基本的な説明

一般相対性理論と量子力学の折り合いをつけた理論(量子重力理論)を構築することは、物理学者を悩ませていた大問題であった。超弦理論は、その問題を解決する可能性をもった理論である。

超弦理論には5つのバージョンがあり、それぞれタイプI、IIA、IIB、ヘテロSO(32)、ヘテロE8×E8と呼ばれる。この5つの超弦理論は理論の整合性のため10次元時空が必要である。空間の3次元に時間を加えた4次元が、我々の認識する次元数である。我々が認識できない残りの6次元は、量子レベルでコンパクト化され、小さなエネルギーでは観測できないとされる[1]。また、11次元超重力理論をその低エネルギー極限に含んだM理論は更に1次元を加えて合計11次元を必要とする[2]。これら6つの理論は様々な双対性によって互いに繋がっている[3]。超弦理論の5つのバージョンを統合するものとしてM理論が注目されている。

弦の振動は、コンパクト化されている6次元により制約を受け、その振動の形により、特定の量子を形作っている。超弦理論では基本的物体は1次元の弦であったが、M理論では加えられたもう1次元によって基本的物体は2次元の膜であると提唱されている。

また超弦理論で表記される10次元中にはDブレーンと呼ばれる様々な次元の拡がりを持ったソリトンが存在する。Dブレーンは、もともと1次元の弦が端点を持ちうる空間として定義されているものだが、重力子等の閉じた弦はこの空間に依存せずにブレーン間を往来する。

超弦理論は重力の量子論の有力な候補であり、現時点でも特殊な条件の下でならブラックホールのエントロピーに関する問題に答える事ができる。ブラックホールのエントロピーは表面積に比例しているが、この事実をDブレーンに張り付いた弦の状態を数え上げる、という方法で導き出している。これは熱力学のエントロピーを統計力学の手法で導き出すことに対応している。

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以下、知識メモ?
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ラングランズプログラム(英: Langlands program)は、代数的整数論におけるガロワ群の理論を、局所体およびそのアデール上で定義された代数群の表現論および保型形式論に結び付ける非常に広汎かつ有力な予想網である。同プログラムは Langlands (1967, 1970) により提唱された。

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保型形式論

ヘッケ(英語版)は既に、ディリクレ L-函数を保型形式(C の上半平面上で定義される正則函数である種の函数等式を満たすもの)に関連付けていたが、ラングランズはそれを(有理数体 Q のアデール環 A 上で定義される一般線型群 GL(n, A) の無限次元既約表現の一種である)保型尖点表現に対して一般化した。(Q のアデール環というのは、Q の任意の完備化を一斉に扱ったようなものである)。

ラングランズは、保型 L-函数をその保型表現に対応させ「任意のアルティンのL-函数が、代数体のガロワ群の有限次元表現から生じることと、保型尖点表現から生じることとは等しい」と予想した。これをラングランズの「相互律予想」という。一口に言えば、相互律予想は簡約代数群の保型表現とラングランズ群から L-群への準同型との間の対応を与えるものである。この相互律は、ラングランズ群や L-群の定まった定義がないために、いくつものバリエーションがある。局所体上での相互律は、局所体上の簡約代数群の既約許容表現のL-パケット(英語版)の径数付けを与えることが期待される。例えば、実数体上での相互律は実簡約代数群の表現のラングランズ分類(英語版)であり、大域体上では保型形式の径数付けを与える。

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相互律

ラングランズプログラムの出発点は、二次の相互律を一般化したアルティンの相互律であると考えられる。アルティンの相互律は、ガロワ群が可換であるような代数体のガロワ拡大に適用して、L-函数をガロワ群の一次元表現に対応させ、さらにそれら L-函数がある種のディリクレ L-級数やヘッケ指標から構成されるより一般の級数(つまり、リーマンゼータ函数のある種の対応物)と同一視できることを主張するものである。これら種々の異なる L-函数の間の具体的な対応が、アルティンの相互律を構成しているのである。

非可換なガロワ群やその高次元表現に対しても、L-函数は自然な方法で定義することができる(アルティン L-函数)。

ラングランズの考察は、アルティンの主張をより一般の仮定の下で定式化することを許すような、ディリクレ L-函数の真の一般化を求めることであった。


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モジュラー理論に関する最近の展開

よく知られた例は、有理数体上定義される各楕円曲線がモジュラー形式に(付随する L-函数を保つように)翻訳することができることを示唆する(今ではモジュラー性定理となった)谷山・志村予想である。これを同型を以って同一視することは、厳密な意味をどう定めても、困難である。ある種の曲線が、(種数 1 の)楕円曲線にもモジュラー曲線にもなることは、予想が定式化される(1955年ごろ)には既に知られていた。この予想の驚くべき部分は、それが種数が 1 より大きい楕円曲線のヤコビアンの因子への拡張である。予想が明確に述べられる以前であれば、そのような有理因子が「十分に」存在することは恐らく尤もらしく思われなかったであろう。そして事実、表がそれを裏付けし始める1970年頃になるまで、数値的な証拠は省みられることは無かった。予想の一部、虚数乗法を持つ楕円曲線の場合については、1964年に志村によって証明されている。この予想は、それが一般に証明されるよりも何十年も前から、正しいと信じられていた。

実は、ラングランズプログラム(ラングランズ哲学)は、予想を統一する網に近い存在である。これは、保型形式の一般論はラングランズの導入したL-群によって統制されるということを実際に仮定する。ラングランズのL-群に関する「函手性原理」は、保型形式に関する既知の種類の「持ち上げ」(現在ではより広く保型表現論として研究される)についての非常に大きな説明的価値を持つ。この理論は、ある意味で谷山・志村予想に近い関係があるのだけれども、同予想とは実際には反対方向の操作であると理解されるべきものである。こちらは(非常に抽象的な)モチーフの圏に属する対象から始めて、保型形式の存在を要求する。

関連するほかの特徴的な点は、このラングランズのやり方が、(フーリエ級数としての楕円モジュラー函数と、モンスター群や他の散在群の表現との間の関係を示す)ムーンシャイン現象によって引き起こされた全体的な展開から距離を置くものであることである。ラングランズ哲学は、予兆されたものでもこの系統の研究に含まれうるものでもなかった。

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数学の統一理論における主要な概念の一覧 (言葉メモ)

これらの理論は以下のような概念を含む:
デカルト幾何学
微分積分学
複素解析学
ガロア理論
エルランゲンプログラム
リー群
集合論
ヒルベルト空間
計算可能関数
特性類
ホモロジー代数
ホモトピー理論
グロタンディークのスキーム
ラングランズプログラム
非可換幾何学

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ブルバキ
数学を公理的に展開するという理念は、数学者集団ブルバキによって熱心に取り上げられた。極端に言えば、ブルバキの姿勢というのは、数学をその最も一般性を持つ形で展開することを要求することである。最も一般の公理系から始めてそれから特殊化を行う、例えば導入は可換環上の加群によって行い、それを実数体上のベクトル空間に制限するのは絶対的に必要となるときのみに限るといった具合である。対象とする定理の主な興味がその特殊化したものにあった場合でさえ、このような話の展開の仕方が貫かれる。

特に、この立場では、(組合せ論のように)研究の対象が非常に多くの場合特殊、若しくはその主題に関するより公理的な分野と表面的にのみ関連するような状況で見つかる、というような数学の分野にはあまり価値を置かない。
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さあ、どんな話かな?
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フェルマーの最終定理 【著者】サイモン•シン(青木薫 訳) 【発行】新潮社(新潮文庫) / 「解決!フェルマーの最終定理 現代数論の軌跡」加藤和也著、日本評論社


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文系用読者:「教育者」としてのあの頃の感覚として読む

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フェルマーの最終定理 【著者】サイモン•シン(青木薫 訳) 【発行】新潮社(新潮文庫)


整数に関する問題は、問題を理解するのはやさしいが解くのはとてつもな く難しいことが多い。この本の表題ともなっている「フェルマーの最終定理」 の証明もそのような整数問題の1つであり、アマチュア・プロを問わず 300 年もの間、多くの数学者の挑戦を退けてきた問題である。1995 年最終的に 証明を成し遂げた勝者はアンドリュー・ワイルズという数学者であった。し かし、その証明への取り組みは試練に満ちており、7年間の隠密行動、そし て1度は証明できたと発表して、その後証明に穴があることがわかり1年余 りの間、公にさられた状態での穴埋め作業の末ようやく証明完了というドラ マが書かれています。谷山、志村、岩澤、肥田といった日本人数学者もからみ、困難な問題にチャレンジする人間模様を描いた物語として、一読を。


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理系用読者:「数学者」としてのあの頃の感覚として読む

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【書名】「解決!フェルマーの最終定理 現代数論の軌跡」加藤和也著、日本評論社

( フェルマーの大定理が解けた!―オイラーからワイルズの証明まで (ブルーバックス) 足立恒雄著 新書 )

( フェルマーの大定理―整数論の源流 (ちくま学芸文庫) 足立恒雄著 )

( フェルマーの最終定理 文庫 フェルマーの最終定理 (新潮文庫) サイモン シン(著), 青木 薫 (翻訳) )



1993年6月23日に、プリンストン大学のA.ワイルスが、フェルマーの最終定理の証明を宣言し、その後、証明の不備が見つかり、1年以上に苦考の末、1994年9月19日にその修正に成功したこの期間に、著者が証明の解説として数学セミナー読者向けに書いたものを集めたものである。厳密性はないが、極力丁寧に、正確に伝えようとする、著者の誠実さと、理解の深さが伝わってくる。原論文の 1. A. Wiles; Modular elliptic curves and Fermat's last theorem, 2. R. Taylor, A. Wiles; Ring theoretic properties of certain Heck algebras にも、整数論にも、非常に惹きつけられる内容だった。購入時にも読んだと思われるが、詳しく覚えていないところをみると、理解しようとはしていなかったのかもしれない。むろん、今回も十分な時間をかけて読んだとは言えないが。


以下は備忘録


「砂田利一『基本群とラプラシアン、幾何学における数論的方法』」(p.37)「ワイルス『ぼくは、フライとリベットの結果を知ったとき、風景が変化したことに気がついた。(中略)この時まで、フェルマの最終定理は、何千年間もそのまま決して解かれることがなく数学がほとんど注目することがない数論の他の[散発的かつ趣味的な]ある種の問題と同じようなものに見えていた。フライとリベットの結果によって、フェルマの最終定理は、数学が無視することのできない重要な問題の結果という形に変貌したのだ。(中略)ぼくにとって、そのことは、この問題がやがて解かれるであろうと言うことを意味していた』」(p.67)「清水英夫著『保型関数I, II, III』、志村五郎著『Introduction to the theory of automorophic functions』、Knapp『Elliptic curves』、河田敬義著『数論I, II, III』、藤崎源二郎・森田康夫・山本芳彦著『数論への出発』、上野健爾著『代数幾何学入門』、J.H.シルヴァーマン・J.テイト著(足立恒雄〔ほか〕訳)『楕円曲線論入門』、土井公二/三宅敏恒著『保型形式と整数論』、肥田晴三著『Elementary theory of L-functions and Eisenstein series』、吉田敬之著『保型形式論: ─現代整数論講義ー』、N.コブリンツ著(上田勝〔ほか〕訳)『楕円曲線と保型形式』」(p.123,4)「田口雄一郎さんの手紙に『Deligne さんの家はこの道の始まりのところ、森の入り口にあります。Deligne さんといへども、森羅万象の真理の最奥に至る道のほんの入口のところにゐるに過ぎないといふ、これは自然による卓抜な比喩であると思われます。ところが、恐ろしいことに彼の子供たちは毎日この道を通って森のむかうの学校に通ってゐるらしいのです。』とありました。フェルマーからの350年は大進歩でしたが、人類が続いてゆけば、それは今後何千年の数学の序曲であり、何段も何段も自然の深奥への新しい段階があることでしょう。」(p.239)「ガウス『どのように美しい天文学上の発見も、高等整数論が与える喜びには及ばない』ヒルベルト『数論には古くからの問題でありながら、今日も未解決のものが少なくない。その意味で、多くの神秘を蔵する分野であるが、他方、そこで展開される類体論のような、世にも美しい理論がある』」(p.245)「岩澤健吉『代数体と、有限体上の一変数関数体は、どこまでも似ていると信じてよい』」(p.246)「志村五郎は『整数論いたる所ゼータ関数あり』と述べたが今その言葉に『ゼータ関数のある所 岩澤理論あり』と続けて考えたい」(p.261)『ゼータ関数のある所 肥田理論あり』ともいえる。


「フェルマーの最終定理」を理解したい人(参考 書籍紹介)


N.コブリンツ著(上田勝〔ほか〕訳)『楕円曲線と保型形式』

土井公二/三宅敏恒著『保型形式と整数論』

志村五郎著『Introduction to the theory of automorophic functions』

J.H.シルヴァーマン・J.テイト著(足立恒雄〔ほか〕訳)『楕円曲線論入門』

Knapp『Elliptic curves』

河田敬義著『数論I, II, III』

藤崎源二郎・森田康夫・山本芳彦著『数論への出発』

上野健爾著『代数幾何学入門』

肥田晴三著『Elementary theory of L-functions and Eisenstein series』

清水英夫著『保型関数I, II, III』

吉田敬之著『保型形式論: ─現代整数論講義─』

砂田利一著『基本群とラプラシアン、幾何学における数論的方法』


原論文の

 1. A. Wiles; Modular elliptic curves and Fermat's last theorem, 

 2. R. Taylor, A. Wiles; Ring theoretic properties of certain Heck algebras




論文集 (志村五郎)

Collected Papers. I: 1954-1965 (Hardcover ed.). Springer. (2002). ISBN 978-0-387-95406-6.

Collected Papers. II: 1967-1977 (Hardcover ed.). Springer. (2002). ISBN 978-0-387-95416-5.

Collected Papers. III: 1978-1988 (Hardcover ed.). Springer. (2003). ISBN 978-0-387-95417-2.

Collected Papers. IV: 1989-2001 (Hardcover ed.). Springer. (2003). ISBN 978-0-387-95418-9.

など


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2015/11/16 から  2015/12/07


NHK数学ミステリー白熱教室 「数学ミステリー白熱教室 ラングランス・プログラムへの招待」


「究極の数学」は驚くほどエレガントで力強い

青木薫が味わうNHK数学ミステリー白熱教室



11月13日(金)からNHK Eテレで放送の始まった「数学ミステリー白熱教室 ラングランス・プログラムへの招待」。イケメン教授のエドワード・フレンケル氏が、「心も頭もしびれる究極の数学」(ツイッターより)を白熱講義するこの番組は、中学数学を終了程度の知識で、現代数学のもっとも心踊るプロジェクトの神髄にふれさせようという意欲的な試みだ。

フレンケル教授の著書『数学の大統一に挑む』を翻訳した翻訳家の青木薫氏が、毎回ごとにその授業の謎解きをする。その第一回、「惑星ソラリスの生命体は私たちと同じ数学を夢見るのか?」



「数学ミステリー白熱教室」(全4回)が、NHKのEテレで始まった。第1回の放映があったのが11月13日。講師はカリフォルニア大学バークレー校の数学教授、エドワード・フレンケルだ。講義のテーマは「ラングランズ・プログラム」。ラングランズ・プログラムなんて初めて聞く、という人も多いことだろう。なにしろそれは、現代数学の最先端の話なのだから。


数学が持つ美しさとパワー



エドワード・フレンケル(Edward Frenkel)/1968年旧ソ連生まれ。父親がユダヤ人との理由でモスクワ大学の入学試験で全問正解したにもかかわらず不合格となり、やむなく石油ガス研究所(日本でいうところの工業大学)に入学、応用数学を学ぶ。一方で純粋数学の研究を続け、在学中にハーバード大学に客員教授として招かれる。その後、ラングランズ・プログラムと出合い、量子物理学にまで拡張。カリフォルニア大学バークレー校の数学教授。親日家でもある。「愛の数式」をテーマとする映画を製作・出演

「”数学”と言われただけで頭が真っ白になるというのに、”現代科学の最先端”なんて、ムリムリ……」と思う人もいるかもしれない。しかし、心配は御無用。フレンケルの「数学ミステリー白熱教室」には、数学者や学生だけでなく、一般の市民も参加しているという。


それに、なんといっても講師であるフレンケル教授は、「数学の美しさは、きっとみんなにわかってもらえる」という信念の持ち主なのだ。楽譜の読めない人だって、すばらしい音楽には胸を揺さぶられる。油絵なんてただの一度も描いたことがない人だって、ゴッホの「月星夜」の前に立てば、その不思議な迫力に心を捕まれるのではないだろうか。それと同じように、数学の美しさとパワーは、きっとみんなに感じてもらえる、と彼は信じているのだ。



そんなフレンケル教授がいったいどんな講義をするのだろうかと、わたしはわくわくしながら放映を待った。番組が始まってまず思ったのは、「やっぱり、フレンケルってイケメンだわぁ」ということだった。ド・アップに絶える端正な顔立ち。チャーミングな笑顔に思わず引き込まるし、手指の動きにふと目を奪われてしまう。いやあ、静止画像で見るより、動くフレンケルの方がずっと素敵だわぁ……。


しかし!そんなところに気をとられて、彼の話を聞き漏らすのはもったいない(と、我に返った)!


数学は宇宙の普遍言語なのか


わたしがハッとさせられたのは、番組の冒頭近く、「数学は宇宙の普遍言語なのだろうか?」という話題のところだ。宇宙人も、われわれと同じ数学の世界を共有していて、数学という言語を使えばコミュニケーションを取ることができるのだろうか。


フレンケルは、スタニスワフ・レムのSF『ソラリス』を例にもち出した。惑星ソラリスでは、ひとつの世界がまるごとひとつの存在なので、複数のものを、「ひとつ、ふたつ、みっつ」と数えるということがない。それゆえソラリスは自然数(1、2、3、……)の概念をつかむことができず、ひいては数学の発展も望めないだろう、という議論があるのだそうだ。



惑星ソラリスは惑星自身がひとつの生命体だが、自分の周りの軌道を衛星が何周するかで自然数を考える。逆周りがマイナスの整数となる

それに対して、数学は宇宙の普遍言語だと信じるフレンケルは、ソラリスであっても自然数の概念をつかめるということ(そして数学を発展させることができること)を、論証してみようと言い出した。


そのためにフレンケルが持ち出したのは、ありふれたデンタルフロスだ。そして彼は、フロスを指に巻きつけていく。ぐるり、ぐるり、ぐるり、と巻きつけていくと、1回、2回、3回、と巻きの回数を定義でき、それゆえ1、2、3という自然数の概念を把握できる。そればかりが、この方法では、逆向きに巻きつけていくことにより、-1、-2、-3、という負の数の概念が、ごく自然に得られるのだ。


わたしはこれまで、自然数の概念は、皿に盛られたイチゴのような対象を、1、2、3、と数えるなかで生まれたという、ごく一般的な説明だけで満足しきっていたので、この「糸巻き法」には不意をつかれた。そして、なんてエレガントなんだろうと、目が覚める思いがした。それはなんとも刺激的な感覚だった。



フレンケルは言う。この方法はちょっと見えにくい。だから普通は気がつかないかもしれない、と。そう、そうなのだ! 数学は、ちょっと見えにくいところに隠れている。けれども、いったん気がつけば、そこからエレガントでパワフルな世界が広がっていくのだ。


番組の冒頭に置かれたこの「糸巻き法」のエピソードは、身近な材料を使った、誰にでもわかる、ごく簡単な話である。しかし、このエピソードはきっと、全4回の講義のなかで、通奏低音のように響き続けるのではないだろうか。そんな予感がする。


ラングランズ・プログラムとは?


さて、こうした魅力的な前置きに続いて、話はぐいぐいとラングランズ・プログラムに向かって進んでいく。ラングランズ・プログラムは、従来は互いに関係がないと思われていた数学の領域間に、ミステリアスなつながりがあるのではないか、そして究極的には、数学のすべての領域はひとつに結びつくのではないか、という壮大なビジョンだ。



フレンケルはそれを説明するために、ゴッホの「月星夜」のジグソーパズルを持ちだした。


袋を開けて、パズルを机の上に広げる。ただし、数学者にとってのパズルには、完成図というものがない。最終的にどんな絵が見えてくるのか、わからないというのだ。ひとりでパズルに取り組むのは大変だから、大勢の数学者がよってたかって、できるところからパズルを合わせていく。やがて机の上には、あちらに少し、こち らに少しと、つながったピースができてくるだろう。


もしかしたら、最終的にこれら全部がつながるのだろうか。そんな思いが数学者の胸に浮かびはじめる。


とはいえ、数学者は何も、「なんだかつながりそうだから、つなげてみようかな」といった、気まぐれな思いつきであちこちに散らばった領域をつなげようとしているわけではない、とフレンケルは番組中で力説していた。


というのも、もしもそんなつながりがあれば(すでに証明されているものもある)、あちらの領域では超難問だったものが、こちらの領域ではエレガントに解決される、といったことが起こるのだ。そちらの領域では、どんな意味があるのかわからなかった問題が、別の領域で、やおら重要性を発揮することもある。ミステリアスなつながりの存在を明らかにし、「数学の大統一」を目指すことには、現実問題として、途方もなく大きな意義があるのだ。


このたびの連続講義では、「数論」「調和解析」「幾何学」という、三つの領域のつながりについて語る予定だと言う。これらは一見すると関係のなさそうな分野である。それをつなぐための、鍵はなんだろうか。ここでフレンケルは、少しももったいをつけることなく、ずばり本質に切り込んだ。その鍵は「対称性」だ、と。


ここでわたしは思わず膝を打った。そうでしょうとも、対称性でしょうとも! フレンケルがこれから何を話しだそうとしているのかは、わたしにはわからなかったけれど、「鍵は対称性にあり!」というのは、絶対そうだよね!と思えたのだ。


というのも、実は対称性は、数学と物理学の関係においても鍵だったのだ。過去においてもそうだったし、現在も重要な「鍵」であり続けている。


数学と物理学の微妙な関係


数学と物理学は、長い歴史の中で、近づいたり離れたりしてきた。両者が活発にお互いを刺激し合っていた時代は、ひとりの人物が数学者と物理学者を兼ねてていることも珍しくはなかった。


ところが20世紀の初め頃から半ばを過ぎる頃まで、両者の関係は冷めていた。物理学者は、過去の数学者の仕事から、自分の仕事に使えそうな道具を借りてくるだけ。数学者は、自然相手に苦闘している物理学者を尻目に、我が道を爆走していた。



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しかし、そんな20世紀にさえ、両者のあいだには、何かミステリアスなつながりがあるに違いない、と思わせるような証拠だけは、ごろごろと転がっていたのである。そんな証拠の多くは、「対称性」に関するものだった。物理学者が、目の前の混乱をなんとか理解しようと、対称性という鍵をドアに差し込んでみる。すると、魔法のようにドアが開き、目の前にシンプルかつエレガントな数学的理論が立ち現れる、ということが繰り返されたのである。


次回(11月20日(金)NHK Eテレで23時より放映)、フレンケルはまず、数論の分野における対称性について語るという。対称性と言われて、多くの人がまず思い浮かべるのは、雪の結晶ではないだろうか。雪の結晶の対称性は、幾何学という分野の話だ(☆という図形の性質を考えるわけだ)。


では、数論の分野の対称性とはなんだろうか。フレンケルは、十九世紀フランスに生き、夭折した天才、エヴァリスト・ガロアが引き起こした革命について語るという。それは、幾何学(☆みたいなもの)ではなく、方程式(ax2+bx+c=0みたいなもの)の話だ。そこにどんな対称性があるのか。難解といわれるガロア理論を、いったいフレンケルはどんなふうに語るのか、授業を見るのが楽しみだ。



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天才数学者が決闘死前夜に残した奇跡のメモ

青木薫が味わうNHK数学ミステリー白熱教室


地上波で数学の最前線が、こんなにガチに流されたのは初めてのことだ。NHK Eテレで放送の始まった「数学ミステリー白熱教室」。イケメン教授のエドワード・フレンケル氏が、「数学の大統一」をめざす「ラングランス・プログラム」。理解の鍵として持ち出してきたのは「対称性」だった。

300年間、どんな数学者をもってしても求められなかった5次方程式の解の公式。しかし「対称性」を使えば、「解の公式を求めずとも、それはわかる」という革命的理論を残した天才数学者の悲劇。フレンケル教授の著書『数学の大統一に挑む』を翻訳した翻訳家の青木薫氏が、毎回ごとにその授業の謎解きをする。その第2回、「決闘死の前夜に天才数学者ガロアが残した奇跡のメモ」。


気鋭の数学者エドワード・フレンケルが、現代数学の最前線のホットな話題「ラングランズ・プログラム」を紹介する全4回のシリーズ、『数学ミステリー白熱教室』の第2回が放映された。このたびのテーマは「数論の対称性」。とくに、19世紀のフランスに生きた天才、エヴァリスト・ガロアの革命的アイディアを紹介するという。


難解なガロア理論をどう説明するのか



20歳の時に決闘で死んだフランスの数学者ガロア。死の前日に残したメモは数学に革命を起こした

しかしどうやって? 番組の放映開始時間を待ちながら、わたしはだんだん心配になってきた。「数論の対称性」というのは、見えにくいところだ。そもそも「数論って何?」という人がほとんどだろう。しかも、難しいと評判のガロア理論ときた。そんなテーマを、ごく一般向けのテレビ番組で、それもたった1時間で、どうやって説明するつもりなのだろうか。


さすがのフレンケルも、聴衆に背を向けて黒板に数式を書き続けたり、「ちょっと難しいですね」などと言い訳しながら、難しい専門用語をつぎつぎと投入せざるをえないのではあるまいか。放映開始の時間となり、教室に入ってくるフレンケルの映像を見ながら、わたしは他人事とはいえ心臓がどきどきし、手のひらが汗ばんできた。



そんなわたしの心配は杞憂だった。はじめのうちこそ、「そんなに余裕しゃくしゃくで楽しげにしゃべっていて、ガロア理論までたどりつくの?」とハラハラしていたわたしだったが、いつのまにかフレンケルの語りにすっかり引きこまれていた。講義には印象的なエピソードがちりばめられ、しんみり余韻を残すシーンさえあった。


20歳にして決闘で命を落とすことになるガロアが、その前夜、死を予感しつつ自らの大切な理論を書き残したときの思いーーフレンケルをその手紙を、ガロアが人類に宛てたラブレターだと言う。あるいはまた、ルネサンス期の数学者たちが、「方程式の解の公式」を見つけようと懸命の努力をしていたことーー方程式をすばやく解けるかどうかに、彼らの生活がかかっていたのだ。


わたしがとくに感銘を受けたこと


しかし、わたしがとくに感銘を受けたのは、フレンケルが、数論の対称性をみごとに印象づけ、数論の研究にとりくむ数学者たちの基本思想というべきものさえ語りえていたことだった。



蝶の羽のように、数にも対称性がある

フレンケルは、なぜそんな離れ業を演じることができたのだろう? 興奮冷めやらぬなか、番組終了後にそう考えてみたわたしは、おそらく成功のカギは、1枚の簡単な図にあるのではないかと思い至った。


蝶の対称性(第1回の講義で扱った幾何学の対称性)と、ピタゴラスの定理から導かれる X2=2という2次方程式の解の対称性とを重ねた印象的な図がそれだ。蝶は、右の羽と左の羽を交換しても形は変わらない。では、方程式の解はどうだろうか。


1辺の長さが1であるような直角二等辺三角形を考えたとき、ピタゴラスの定理から、斜辺の長さは√2である。たしかに斜辺の「長さ」なのだから、x2=2の答えはx=√2であるに違いない。しかし、そこにはちょっとした秘密が隠されているのだ。図形ではなく、方程式という観点から見ると、マイナスの数、x=-√2もまた、立派な解なのである((-√2)×(ー√2)=2)。


そうしてフレンケルは、これら二つの解がもつ対称性(√2と-√2は裏表のようだ)は、蝶の対称性と同じだと語る。そして、見えにくいその秘密に気づくことで、世界が広がることを教えてくれたのだ。


さて、そこから一気にフレンケルは、2次方程式における対称性(√2と-√2という二つの解があること)を3次方程式、4次方程式、5次方程式にまで拡張していき、これまでに見えなかったまったく違う道筋を示した数学者の話をするのだ。


それがガロアだ。ルネサンス期の数学者たちが解の公式をみつけて方程式の解を得ようと血道をあげていた話は冒頭に書いたが、どうしても導きだせなかったのが、5次方程式の解の公式。その公式がわからずとも方程式の解の性質をまったく別の方法でわかる、という道筋を示したのだ。


一般に方程式を解くということは、たとえば2次方程式「ax2+bx+c=0」の場合なら、xをa、b、cで表すことである。そうして解の「公式」を求めておけば、いつでも即座に答えを出せるというわけだ。


かつては、問題を出されたときにすぐに答えられるどうかが、数学者としての力量のみせどころだったから、2次方程式はもちろんのこと(これは9世紀には、解の公式が得られていた)、数学者たちは3次、4次の方程式についても、解の公式を求め(これらは16世紀の後半に得られた)、いわば企業秘密として、ライバルたちから隠そうとしたのだった。


そもそも問題の立て方が間違っている


ところが、数学者たちの懸命の力にもかかわらず、5次の方程式の解の公式はみつからず、ガロアが登場するまで、300年にわたり謎のままにとどまっていたのである。


ガロアは、解の公式を具体的に求めようとはしなかった。公式を求めようとすることは、そもそも問題の立て方が間違っている、と彼は考えたのだ。そうではなく、方程式の解について考えることのできる、数の世界の対称群ーー今日「ガロア群」と呼ばれるものーーの性質を調べればよい、と彼は論じたのである。


2次方程式の場合なら、それは蝶の対称性を考えることだった。ガロアは、方程式を解くという問題を、対称性の問題へと飛躍させた。そうすることで、数学者たちが方程式というものを見る目を永遠に変えてしまったのである。


フレンケルは今回の講義で、「蝶の対称性」に「√2、-√2の対称性」を描き入れた1枚の図を手がかりに、幾何学的な対称性という比較的わかりやすい世界から、数論の対称性という、ぐっと抽象的な世界へとわれわれを導き入れた。そして、ガロアによる偉大な発想の転換がどんなものであったのかを語った。


そして、実はこの発想の転換が、今回の講義の大きな目標である「ラングランズ・プログラム」の神髄に触れるところなのである。フレンケルは崩したジグゾーパズルの山をいくつかに分け、「数学はいろいろな大陸にわかれている」と説明。「その大陸の間の不思議なつながり」を探すのが、「ラングランズ・プログラムなのだ」と第1回の講義で述べた。


ガロアが死の前夜に得た着想



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ガロアが死の前夜に得た着想はまさにそれなのだ。5次方程式の解を求める必要はない、その解の性質である「対称性」を調べれば、知りたいことはわかる。解の公式で現せるか否かまではわかるのだ(この方法でガロアは5次方程式には解の公式はそもそも存在しないことを証明した)。


次回、彼は、ラングランズ・プログラムの核心に一気に迫り、「調和解析の対称性」について語るという。「調和解析」とは音の倍数などがその種類のひとつだ。有名な「フェルマーの最終定理」についても語るそうだ。いったい調和解析にどんな対称性があるのだろう?


「フェルマーの最終定理」は、ラングランズ・プログラムにどんな役割を果たしたのだろう? そしてフレンケルは、この難しいテーマをどう料理して見せてくれるのだろうか。第3回も絶対に見逃せない。


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日本の天才数学者、谷山豊が得た奇跡の着想

「数学の大統一」に日本人が大貢献していた


1955 年、日光で開かれた数論の国際学会で日本の数学者谷山豊が得た着想は、「奇跡」とも言えるひらめきだった。その着想とは、非常に複雑な数論の問題を、調和解析というまったく別の数学を使って解くことができるというもの。この「谷村・志村・ヴェイユ」予想が、後に数学史上最大の難問と言われた「フェルマーの最終定理」の解決につながってくる。そのドラマチックな展開をフレンケル教授の著書『数学の大統一に挑む』の訳者である青木薫が読み解く。


NHK Eテレ『数学ミステリー白熱教室』の第3回(11月27日23時放送)は、「夭折した日本の数学者が、数学の大統一に果たした役割」だった。ラングランズ・プログラムの核心に迫り、「数論と調和解析の不思議なつながり」を探ることがテーマだった。フレンケルは、簡単な例を見てもらうことで、数学の異なる分野がつながるとはどういうことなのかを感じ取ってほしいという。


そんなつながりを示すうえで重要な役割を演じたのが、かの有名な「フェルマーの最終定理」だ。その「定理」は、一見するとピタゴラスの定理を素直に拡張しただけのようのようにみえる。ところが、なんのことはなさそうなその問題が、実に350年以上ものあいだ、未証明のままにとどまったのである。


フェルマーの最終定理


未証明なのだから「定理」ではなく、「予想」と呼ばれるべきだったろう。しかし、1637年頃にこの問題について考えたピエール・ド・フェルマーは、証明を発見したと考え、「真におどろくべき証明を見つけたが、余白が狭すぎるので、ここに書くことはできない」という有名な台詞を残して死んでしまった。



上記の式でn が3以上の自然数の場合X、Y、Zを満たす整数解はない」がフェルマーの最終定理

多くの数学者を魅了し、多彩なエピソードに彩られた「フェルマーの最終定理」は、もともと数論の未解決問題だった。ところが1985年のこと、「フェルマーの最終定理」は、「志村・谷山・ヴェイユ予想」という別の予想の特殊ケースであることが示されたのである。つまり、「志村・谷山・ヴェイユ予想」が証明できれば、自動的にフェルマーの最終定理を証明したことになるのだ。


こうして一挙にスポットライトを浴びた「志村・谷山・ヴェイユ予想」だったが、実はこの予想は、ラングランズ・プログラムにとって重要な意味をもっていた。それは、数論と調和解析とをつなぐ驚くべき予想だったのだ。


フレンケルは、この連続講義の最初にラングランス・プログラムとは何かを説明する際に、崩したジグゾーパズルの山をいくつかつくり、「数学にはさまざまな領域がある。それらはいわば海に隔てられた大陸のようなものだが、しかしそこには不思議なつながりがある。そのつながりを探っていくこと」と説明した。


「数論」と「調和解析」



調和解析の例

数論とは、数の性質とふるまいを探る世界、調和解析とは、たとえば三角関数や音の倍数など周期を起点にして考える数学だ。


一見似ても似つかない二つの分野が、どう関係しているのか。


フレンケルは鮮やかにそのことを講義する。数論の分野では手に負えなかった難問が、調和解析の世界に持ち込んだとたん、鮮やかに解けてしまう。

それが、「志村・谷山・ヴェイユ予想」だと。


何のパターンもなさそうに見え、このままでは、まるで泥沼にはまったように、どこまでも先の見えない計算を続けることになりそうな数論の問題が、特殊な対称性を持つ調和解析の関数を考えることで、すっきりと解決しまう。


そして、この予想を証明することが、数学者たちの挑戦を300年以上にもわたって退けてきた、「フェルマーの最終定理」を証明することになったのだと。


フレンケルの講義を聞きながら、わたしは背中がゾクッとした。これは魔法じゃないか。たった一行の式が、まるで打ち出の小槌か、魔法の杖のように思われた。その式をちょっと振ってやれば(カッコをはずせば)、泥沼のような数論の問題への答えが、ポロポロと出てくるのだから。


さて、今回の講義では、「志村・谷山・ヴェイユ予想」という予想に貢献した日本の数学者について、フレンケルは感動的に語っている。



夭折した日本の数学者 谷村豊

そう、夭折した日本の数学者、谷山豊が登場するのだ。谷山は、この予想を1955年に日光で行なわれた数論の国際学会の最中に着想しながら、その三年後に自殺してしまう。志村が谷山のアイデアを発展させきちんとした形にし、ヴェイユがそれを広めたのだ。


人間の洞察と閃きの深遠さ


フレンケルは、「志村・谷山・ヴェイユ予想」を奇跡と表現し、「コンピュータがどんな複雑な演算をこなすようになっても、人間の洞察と閃きの深遠さにはかなわない」。その驚きの瞬間がこの予想にはあると語った。



エドワード・フレンケル(Edward Frenkel)/1968年旧ソ連生まれ。父親がユダヤ人との理由でモスクワ大学の入学試験で全問正解したにもかかわらず不合格となり、やむなく石油ガス研究所(日本でいうところの工業大学)に入学、応用数学を学ぶ。一方で純粋数学の研究を続け、在学中にハーバード大学に客員教授として招かれる。その後、ラングランズ・プログラムと出合い、量子物理学にまで拡張。カリフォルニア大学バークレー校の数学教授。親日家でもある。「愛の数式」をテーマとする映画を製作・出演

そして、「数学者は人間なのだ」とフレンケルは強調するのだ。親友である谷山の早すぎた死を深く悲しむ志村五郎の言葉を引きながら、「数学者は人間なのだ」と。


フレンケルはそう学生に語りかけながら、一瞬絶句する。そんなフレンケルの様子を見ながら、わたしは今から15年ほど前に、志村先生と直接お会いした時のことを思い出していた。


サイモン・シンの『フェルマーの最終定理』の翻訳をしていたときのこと、プリンストンの志村先生と少しメールでやりとりをし、さらに集中講義のために京都大学にいらした際には直接お会いする機会を得たのだった。


今から述べるのは、そのとき(本題を離れて、完全にオフレコ気分の雑談のとき)に出た話題である。そんな会話をこのような場に書いてよいものか少し悩んだが、書いてはいけないと考える積極的理由もないように思うので、書くことにする(志村先生、お許しを!)。


わたしは志村先生に、ロバート・ラングランズをどう評価なさるかとお尋ねした。すると先生はさらっと、「(ラングランズは)旗振りしただけでしょう」とおっしゃったのだ。ここで急いで補足するが、時代に先駆けて立ち上がり、旗を振るというのは誰にでもできることではない。


フレンケルの今回の講義でも、もしかするととんでもない大間違いかもしれない洞察を述べることへのラングランズの不安が、ヴェイユに宛てた手紙(実質的には論文)への添え書きに、はっきりと表れていた。旗を振ることは、それはそれ自体として、すごいことなのだ。


ラングランズに対する志村先生の評価は、志村先生ご自身の数学との向き合い方、あるいは数学観のようなものと密接に結びついているはずのものである。このコメントは、志村先生の口から出たからこそ凄みがあるのであって、そんじょそこらの者が口にすれば、薄っぺらなセリフにしかならないだろう。


とはいえ、わたしが強い印象を受けたのは、ラングランズについての先生のコメントではない。わたしはそれに続けて、「では、ヴェイユはどうですか」とお尋ねした。すると先生は、一瞬間をおいてから、ひとことひとこと区切るように、力を込めてこうおっしゃったのだ。


ヴェイユは数学界における一等星


「ヴェイユは、まぎれもなく、一等星でした」。つまりヴェイユは、数学史上に燦然と輝く一等星のひとつだというのだ。わたしの目と耳には、このときの志村先生が焼き付いている。この先生の言葉の重みを自分のものとして実感することは、数学者ならぬ身のわたしには永遠にできないだろう。けれども、今でも翻訳の仕事でヴェイユに出会うと、この人は志村先生にあのように言わせた人物なのだと、襟を正してしまうのである。



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実はこのとき、わたしはさらに続けて、「では、志村先生ご自身は何等星でしょうか?」とお尋ねしたのだが、この問いに対する先生の答えは、みなさんのご想像にお任せすることにしたい。


フレンケルの著書『数学の大統一に挑む』は、大勢の数学者たちを糸として織りなされるタペストリーのようなものと見ることができる。ロバート・ラングランズとアンドレ・ヴェイユは、全体のトーンを決める重要な2本の糸だ。


そこに意外な方面から、第3の重要な糸が現れる--物理学者エドワード・ウィッテンである。


さて「数学ミステリー白熱教室」次回(12月4日)はいよいよ最終回。そのテーマは「数学と物理学 驚異のつながり」だという。はたしてウィッテンは、講義にも登場するのだろうか? だとしたら、フレンケルはこの驚くべき人物をどのように語るのだろう? 最終回となる第四回は、フレンケル自身にとっても格別のクライマックスとなるはずだ。


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物理学者は、数学者の肩に乗った小人なのか

フレンケル教授の「数学白熱教室」最終講義


ツイッターによる実況中継まで行われるほど熱い支持を受けた「NHK数学ミステリー白熱教室」。イケメン数学者エドワード・フレンケル教授による講義もいよいよ最終回。数学の様々な分野に架け橋をかけるラングランス・プログラムを量子物理学に拡張するというフレンケルの専門の分野に突入する。そしてそれは、数学者と物理学者の違いとは何か、という根源的な問いに行きつく。フレンケル教授の『数学の大統一に挑む』の訳者であり、京大理学部で理論物理学の博士号をとっている青木薫が読み解くこのシリーズも最終回を迎える。


エドワード・フレンケルの『数学ミステリー白熱教室~ラングランズ・プログラムへの招待~』(全4回)が12月4日に最終回を迎えた。現代数学の壮大なビジョンであるラングランズ・プログラムを、広く一般に紹介しようという野心的なテレビ・シリーズだ。 


第4回は「数学と物理学 驚異のつながり」というテーマだ。このテーマこそが、このシリーズの山場だとわたしは思うのである。ひとつには、現在のフレンケルが、このつながりを解明することに大きく関わっているからだが、もうひとつには、彼がもともと数学の世界に入ったのは、物理学のことをもっとよく理解したかったからだ。


物理学は数学によって予め発見されている?


少年時代の彼は、物理学に魅了されていた。とくに素粒子物理学に興味があった。しかし、マレイ・ゲルマンが提唱したクォークモデルは、どうにもわからなかった。いったいどこから、あんな考えが出てきたのだろうか。ゲルマンは「八道説」という、何やら東洋思想めいた不思議な説を唱えていたが、いったい何でそんなことを思いついたのだろう?


そんなことを考えていたとき、家族ぐるみのつきあいのあった数学者が、「それを理解したければ数学をやるしかない」と教えてくれたのだ。物理学は、数学によって説明されているのだ、と。


そうして数学を学び始めたフレンケルは、どんどん数学の魅力にとりつかれていったのだ。そうして過酷な試練を乗り越えて数学者になったフレンケルが、今、思いもよらぬ巡り合わせによって、数学と物理学との新たな関係に光を当てようとしている。



エドワード・フレンケル(Edward Frenkel)/1968年旧ソ連生まれ。父親がユダヤ人との理由でモスクワ大学の入学試験で全問正解したにもかかわらず不合格となり、やむなく石油ガス研究所(日本でいうところの工業大学)に入学、応用数学を学ぶ。一方で純粋数学の研究を続け、在学中にハーバード大学に客員教授として招かれる。その後、ラングランズ・プログラムと出合い、量子物理学にまで拡張。カリフォルニア大学バークレー校の数学教授。親日家でもある。「愛の数式」をテーマとする



ところで、今回の講義の下敷きとなっているフレンケルの著書『数学の大統一に挑む』を翻訳しているとき、まさに数学と物理学と関係をめぐって、担当編集者とわたしとのあいだにちょっとした論争があったのだ。それは結構面白いと思うので、ここで暴露(?)しておきたい。


さてその辣腕編集者とわたしのあいだの論争とは、どういうものか。


それは、ある章の意味をめぐってのことだった。ラングランズ・プログラムを量子物理学に拡張していくくだりを書いた第17章の訳稿を見て、編集者はこう言ったのだった。


「この章でフレンケルが言いたいのは『物理学者は数学者の地平を再発見する』っていうことですよね」


わたしはこれに納得がいかなかった。というのは、誰あろう、数学と物理学との関係に新しい地平を開いたエドワード・ウィッテンが出てくるというのに、「物理学者は数学者の後追いばかりしている」みたいな言い方は、古いだろう、と思ったからだ。


物理学者は数学者という巨人の肩の上の小人?



物理学者でありながら、フィールズ賞を受賞したエドワード・ウィッテンの仕事はフレンケルら数学者に大きな影響を与えている

なるほど20世紀を通じて、「物理学者は、すでに死んだ偉大な数学者の発展の中から、使えるものを見て出して使っている。物理学者は、数学者という巨人の 肩の上に乗っている小人だ」的なことは、これでもかというほど繰り返し言われてきた。そしてそれは、正しい。20世紀物理学の日本の柱である、相対性理論 も量子力学も、過去の数学者たちの成果をありがたく使わせてもらっている。


あまりに数学は役に立つので、物理学における対称性の研究でノーベル物理学賞を受賞しているユージン・ウィグナーという物理学者は、「物理学における数学の、非合理なまでの有効性」という有名なセリフを吐いた。


けれども、近年、その関係に変化が生じている。



とりわけウィッテンを筆頭に、物理学者たちの仕事が、数学者たちにインスピレーションを与えるようになってきたのだ。フレンケルは本の中で、そのウィッテンの仕事ぶりを、間近に観察して書き出している。


それなのに、「物理学者は数学者の地平を再発見する」はないだろう。 それってちょっと古すぎない? こうわたしは思ったのだった。


そんな関心から、わたしは興味津々で第4回の放映を待った。フレンケルは数学と物理学の関係を、どんなふうに紹介するのだろうか。 


結論から言うと、まさにフレンケルはわたしたちが論争していたその問題に切り込んできた。物理学者は数学者の地平を再発見しているのか。そもそも、なぜ物理の法則が数学で描くことができるのか。


なぜ自然の力を数学で現せるのか


フレンケルは、物理学の三つの力、電磁力、弱い力、強い力は、それぞれこの講義の2回目で習った群論のひとつであるSU(1)、SU(2)、SU(3)で現せるのだと説明した。カッコの中は一次元、二次元、三次元、での行列を現すのだが、ここでフレンケルは講義に参加している人たちにこう問いかけるのである。



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なぜ、自然のこうした力が、こんな数学で現わせるのか。そもそも数学というのは人間の頭の中で抽象的思考のはずなのに、どうしてそれがたまたま自然界の力の法則に合致しているのか。


そして数学は、SU(4)、SU(5)、SU(6)・・・といった具合に無限に拡張していけるが、これは一体何なのか。自然界のまだ発見していない現象を現すものなのか。


そうしてフレンケルはやはり2015年ノーベル物理学賞をとった楊振寧のこんな言葉をひくのだ。


「いったい何で、実際の物理世界の様々な構造がこれほどまでに数学上の考えに結びついているのか、それほど不思議で、刺激をうけることはない。そうした数学上の考えは、論理と美しい思考の中でのみ導き出されたもののはずなのに」


フレンケルは、講義の締めくくりとして、アイザック・ニュートンの言葉を紹介した。それはわたしにとって、含蓄の深いまとめだった。


ニュートンは、ある人物への手紙の中で、自らを浜辺に遊ぶ少年にたとえたのだ。少年は、なめらかな小石やきれいな貝殻を見つけては、ただ喜んでいる--目の前には、真理の大海原が手付かずのまま広がっているというのに。


目の前には未知の大海がある



引力の法則を発見したアイザック・ニュートンは数学者でもあり物理学者でもあった

そう、物理学者というのは、小石や貝殻を見つけて喜んでいる子どもなのだろう。しかしときに、ニュートンがそうであったように、大海原の存在に気づく者がいる。


いや、ニュートンは、単にそれに気づいただけでなく、立ち上がって海水に足を浸した人物なのだとわたしは思う。そしてウィッテンも、そんな物理学者のひとりなのだろう。


砂浜で貝殻の美しさにみとれて夢中になっていたのは、物理学者か数学者か、目の前の未知の大海に気がついたのは数学者か物理学者か。実は、そうした仕分けをやめるところから、未知の大海があることに気づくことができる・・・それが広い意味でのラングランス・プログラムなのだ、とフレンケルは最終講義で訴えたのではないか。


ラングランズ・プログラムに取り組んでいる数学者、そして物理学者は、今立ち上がり、新たな謎を手がかりとして、大海原に漕ぎ出そうとしているのかもしれない。

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参考

ラングランス・プログラム= 志村・プログラム


数学の大統一に挑む - エドワード・フレンケル 単行本 ¥2,376

数学ミステリー白熱教室 (第1回から第4回)動画(フェルマー予想 から ラグランズプログラム)

https://www.youtube.com/watch?v=octSjc1Sk2U&list=PL6iz98WS2YpRGR2egcplCqKnx6PBr3czn

内容紹介

xのn乗 + yのn乗 = zのn乗


上の方程式でnが3以上の自然数の場合、これを満たす解はない。

私はこれについての真に驚くべき証明を知っているが、ここには余白が少なすぎて記せない。


17世紀の学者フェルマーが書き残したこの一見簡単そうな「フェルマーの予想」を証明するために360年にわたって様々な数学者が苦悩した。


360年後にイギリスのワイルズがこれを証明するが、その証明の方法は、谷村・志村予想というまったく別の数学の予想を証明すれば、フェルマーの最終定理を証明することになるというものだった。


私たちのなじみの深いいわゆる方程式や幾何学とはまったく別の数学が数学の世界にはあり、それは、「ブレード群」「調和解析」「ガロア群」「リーマン面」「量子物理学」などそれぞれ別の体系を樹立している。しかし、「モジュラー」という奇妙な数学の一予想を証明することが、「フェルマーの予想」を証明することになるように、異なる数学の間の架け橋を見つけようとする一群の数学者がいた。


それがフランスの数学者によって始められたラングランス・プログラムである。


この本は、80年代から今日まで、このラングランス・プログラムをひっぱってきたロシア生まれの数学者が、その美しい数学の架け橋を、とびきり魅力的な語り口で自分の人生の物語と重ね合わせながら、書いたノンフィクションである。


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「誕生日の素数」  知の``継承''が生む創造力 (志村 五郎 米プリンストン大学名誉教授) 2001年11月8日 / 志村五郎先生の「誕生日の素数」のダビンチコードは?「19300223、209563、 691、55787、313289、23333」

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参考

感動!「350年の難問解決! フェルマーの最終定理」 1995年2月13日( 数学[整数論]) 

数学 「350年の難問解決! フェルマーの最終定理」 1995年2月13日( 数学[整数論]) 

京都 VSOPも感動! (谷山・志村予想 がカギ)350年の難問解決! フェルマーの最終定理」 1995年2月13日( 数学[整数論]) 

京都 VSOPも感動!「350年の難問解決! フェルマーの最終定理」 1995年2月13日( 数学[整数論]) 
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現代数学の話題からモジュラー形式、保型形式の周辺の数学概念を一括して紹介する。

モジュラー形式 modular form

モジュラー群という大きな群についての対称性をもつ上半平面上の複素解析的函数。モジュラー

形式は、モジュラー群あるいは合同部分群のひとつを離散部分群として持つ SL2(R)(特殊線型

群)や PSL2(R)(射影特殊線型群)の上に定義された保型形式である。この意味では、保型形

式の理論はモジュラー形式の理論の拡張である。

モジュラー群 modular group
a, b, c, d を整数とし ad − bc = 1 としたとき、↦ (az + b) / (cz + d) が形作る複素上半平面

の一次分数変換の群である。作用の群は、写像の合成である。この変換群は、特殊射影線型群PSL(2, Zに同型であり、この群は整数上の 2-次元の特殊線型群 SL(2, Zをその群の中心 {I, I}で割った商である。言い換えると、PSL(2, Zは、a, b, c, d を整数とし ad − bc = 1 として、さ らに行列のペア と -A を同一視したときのすべての行列から構成される。群の作用は通常の 行列の積である。

モジュラー函数 modular function

重さ 、つまりモジュラー群の作用に関して不変であるモジュラー形式のこと。そしてそれゆ

えに、直線束の切断としてではなく、モジュラー領域上の函数として理解することができる。

また、「モジュラー函数」はモジュラー群について不変なモジュラー形式であるが、無限遠点

で f(zが正則性を満たすという条件は必要ない。その代わり、モジュラー函数は無限遠点では

有理型である。

モジュラー形式論は、もっと一般の場合である保型形式論の特別な場合であり、従って現在で

は、離散群の豊かな理論のもっとも具体的な部分であると見ることもできる。

保型形式 automorphic form

位相群 上で定義された複素数(あるいは複素ベクトル空間)値の函数で、離散部分群 Γ ⊂ 

作用の下に不変なもの。保型形式は、ユークリッド空間における周期函数(これは離散位相群と

しての 1次元トーラス上の函数と見なされる)を一般の位相群に対して一般化したもの。

アンリ・ポアンカレ (Henri_Poincaré) は、三角函数や楕円函数の一般化として、最初に保型形

式を発見した。ラングランズ予想を通して、保型形式は現代の数論で重要な役割を果たす。

ラングランズ・プログラム Langlands program は、代数的整数論におけるガロア群の理論を、

局所体およびそのアデール上で定義された代数群の表現論および保型形式論に結び付ける非常

に広汎かつ有力な予想網である。同プログラムは Langlands により提唱された。

非常に広い脈絡において、既存の概念を用いて、ラングランズプログラムは構築される。これ

には例えば、それより少し前にハリッシュ=チャンドラ と Gelfand が定式化していたカスプ形

式の哲学や、半単純リー群に関するハリシュ=チャンドラの手法及び結果、セルバーグの跡公

式などが含まれる。

初めこそ非常に新しかったラングランズの研究も、技術的に深められる中で、豊かに体系立っ

た仮説的な構造,いわゆる函手性を伴って数論との直接的な繋がりを提示するものとなった。

例えば、ハリッシュ=チャンドラの仕事において、半単純(あるいは簡約)リー群に対してで

きることは、任意の代数群に対してできるはずであるという原理を見ることができる。従って、

その手法というのは、既に知られていたモジュラ形式論における GL(2) や、後から認識される

ようになった類体論における GL(1) などの、ある種の低次元リー群が果たす役割を、少なくと

も一般に > 2 に対する GL(nについての考察を明らかにすることであるということができる。


リー代数が半単純であるとは単純リー代数(自分自身と0以外にイデアルを持たないような非可

換リー代数)の直和となる事をいう。

カスプ形式の概念の出所は、モジュラー曲線上のカスプのみならずスペクトル論においても

(アイゼンシュタイン級数からの連続スペクトルと対照を成す)離散スペクトルとも見ること

ができる。より大きなリー群に対してカスプ形式を考えることは、放物型部分群 の数が膨大に

なるため、より技巧的な扱いを要する。
こういった手法の何れにおいても技術的な近道となる方法はなく、しばしば本来帰納的でとり

わけレヴィ分解 に基づいているが、その分野は昔も今も非常に多くのことが要求される。

モジュラー形式の側からは、例えばヒルベルトモジュラー形式、ジーゲルモジュラー形式、テー

タ級数などの例があった。

(対象)ラングランズ関連の予想は無数にあり、さまざまな体上の様々な群に対するラングランズ予想 が、あるいは各体に対する様々な形のラングランズ予想が定式化される。ラングランズ予想の 中には、非常にあいまいな形であったり、存在もよく分からないラングランズ群や互いに同値 でない複数の定義を持つ L-群に依存した形になっていたりするようなものも存在する。そうし てさらに、ラングランズが1967年に最初に提示したものよりもラングランズ予想は深められて いった。 ラングランズ予想を述べることのできる様々に異なった種類の対象として、以下のものを挙げ ることができる:

局所体上で定義された簡約代数群の表現。局所体に含まれる体のクラスとして、アルキメデス 局所体(または C)、p-進局所体(Qの有限次拡大)、函数体の完備化(有限体上の形式

ローラン級数体 F((t)) の有限次拡大)がある。 大域体上で定義された簡約代数群上の保型形式。大域体に含まれる体のクラスには、代数体や 代数函数体が含まれる。

有限体

ラングランズ自身はこれを予想の範疇に含めてはいなかったが、ラングランズの予想のアナロ
ジーで有限体に対するものがある。
複素数体上の函数体のような、より一般の体。

(ラングランズ予想)ラングランズ予想の述べた方は様々に異なった方法があり、それらは密接に関連しているが、 それらの同値性については明らかなことではない。

(相互律)ラングランズプログラムの出発点は、二次の相互律を一般化したアルティンの相互律であると 考えられる。アルティンの相互律は、ガロワ群が可換であるような代数体のガロワ拡大に適用 して、L-函数をガロワ群の一次元表現に対応させ、さらにそれら L-函数がある種のディリクレL-級数やヘッケ指標から構成されるより一般の級数(つまり、リーマンゼータ函数のある種の 対応物)と同一視できることを主張するものである。これら種々の異なる L-函数の間の具体的 な対応が、アルティンの相互律を構成しているのである。 非可換なガロワ群やその高次元表現に対しても、L-函数は自然な方法で定義することができる (アルティン L-函数)。 ラングランズの考察は、アルティンの主張をより一般の仮定の下で定式化することを許すよう な、ディリクレ L-函数の真の一般化を求めることであった。

(保型形式論)
ヘッケは既に、ディリクレ L-函数を保型形式(の上半平面上で定義される正則函数である種 の函数等式を満たすもの)に関連付けていたが、ラングランズはそれを(有理数体 のアデー ル環 上で定義される一般線型群 GL(nAの無限次元既約表現の一種である)保型尖点表現に 対して一般化した。(のアデール環というのは、の任意の完備化を一斉に扱ったようなも のである)。
ラングランズは、保型 
L-函数をその保型表現に対応させ「任意のアルティンのL-函数が、代数 体のガロワ群の有限次元表現から生じることと、保型尖点表現から生じることとは等しい」と

予想した。これをラングランズの「相互律予想」という。一口に言えば、相互律予想は簡約代 数群の保型表現とラングランズ群からL-群への準同型との間の対応を与えるものである。この

相互律は、ラングランズ群や L-群の定まった定義がないために、いくつものバリエーションが ある。局所体上での相互律は、局所体上の簡約代数群の既約許容表現のL-パケットの径数付け を与えることが期待される。例えば、実数体上での相互律は実簡約代数群の表現のラングラン ズ分類 であり、大域体上では保型形式の径数付けを与える。

ディリクレのL-関数 Dirichlet L-functionリーマンゼータ関数を一般化したものである。算術級数中の素数の分布の研究に基本的な関数 である。実際ディリクレは、初項と公差が互いに素であるような等差数列には無限に素数が含 まれること(算術級数定理)を証明するために、この関数を導入した。

(関手性)函手性予想の主張するところは、L-群の適当な準同型が(大域体の場合の)保型形式や(局所 体の場合の)表現の間の対応を与えることが期待されるということである。簡単にいえば、ラ ングランズの相互律予想は函手性予想のうちで簡約代数群が自明である特別の場合である。

(一般化された関手性)
ラングランズは函手性の概念を、一般線型群 GL(nの代わりに他の連結簡約代数群を用いるこ とができるように一般化した。さらにラングランズは、そのような群 に対してラングランズ 双対群 LG を構成して、の任意の保型尖点表現と LG の任意の有限次元表現に対し、ある種 の L-函数を定義した。ラングランズの予想の一つは、この L-函数が既知の L-函数の函数等式 を一般化したある種の函数等式を満足することを主張する。 こうしてラングランズは、非常に一般な「函手性原理」を定式化するに至る。これは、二つの 簡約代数群とそれらに対応する L-群の間の(素性の良い)準同型が与えられたとき、これらの 群の保型表現はその L-函数に対して整合的な仕方で関連することを予想するものである。この 函手性予想からは、これまでにあった全ての予想が系として導かれる。これは誘導表現 の構成 の特質である(もっと従来からの保型形式論において「持ち上げ」と呼ばれていたもので、特 別な、従って(表現の制限が反変的であるのに対して)共変的であるような場合が知られてい た)。直接的な構成を明示的に述べることが試みられたが、いくらか限定的な結果が得られた だけであった。
これらすべての予想を、有理数体 
に替えてより一般の体、例えば(もともとの予想であり、 最も重要な場合である)代数体や局所体、あるいは(素数 に対するp-元体 F上の有理函数 体 Fp(tの有限次拡大体であるような)函数体に対して定式化することができる。

(幾何学的ラングランズ予想)ドリンフェルトのアイデアに従ってローモンの提唱した、いわゆる幾何学的ラングランズプロ グラムは、通常のラングランズプログラムを幾何学的に定式化しなおして、単に既約表現だけ


を考える以上のものを関連付けようとして生じたものである。単純な場合だと、代数曲線のエ タール基本群の l-進表現を、その曲線上のベクトル束のモジュライスタック(moduli stack)上で

定義された l-進層の導来圏の対象に関連付ける。

(現在の状況)
▪ GL(1, Kに対するラングランズ予想は類体論から従う(本質的には同じもの)

ラングランズ自身は、アルキメデス局所体(および C)に対するラングランズ予想を、既約表現 に対するラングランズ分類を与えて肯定的に解決している。 ルスティックによる有限体上のリー型の群の既約表現の分類は、有限体に対するラングランズ 予想に相当するものと考えられる。 ワイルズによる有理数体上の半安定楕円曲線のモジュラー性の証明は、ラングランズ予想の一 部と見做すことができるが、ワイルズの方法を任意の数体上に拡張することはできない。 有理数体上の二次一般線型群 GL(2, Qに対するラングランズ予想は未解決。 ラフォルグは函数体 上の一般線型群 GL(nKに対するラングランズ予想を保証するラフォル グの定理を示した。これは GL(2, Kの場合を示したウラジーミル・ドリンフェルトの先行研究 に続くものである。

(局所ラングランズ予想)
Kutzko は、局所体上の二次一般線型群 GL(2, Kに対する局所ラングランズ予想を証明した。一 般次元の場合には、 Laumon, Rapoport, and Stuhler が、大域理論を含む論法を以って正標数 局所体 上の一般線型群 GL(nKに対する局所ラングランズ予想を証明し、標数 の局所体上 の一般線型群 GL(nKに対する局所ラングランズ予想は Taylor and Harris の証明や、あるいはHenniart の証明などがある(何れも大域的な議論を用いるものである)

(ラングランズプログラムの基本補題)
2008年にゴ・バオ・チャウ Ngô Bo Châu は、基本補題と称される補助的だが非常に難しい主 張を示した。基本補題はもともとラングランズ自身によって1983年に述べられたものである。

導来圏 Derived category
アーベル圏A導来圏 Derived category D(A)はホモロジー代数から構成されるもので、A上に定 義された導来函手の理論を精密化するとともに、ある意味で単純化するべく導入された。その 構成は基本的には次の様に進む:まず圏D(A)の対象はAの双対鎖複体であり、次に2つのその様 な双対鎖複体の間にチェイン写像が存在してコホモロジーを取った段階で同型を誘導する場合 に同型であると考えるのである。このとき、導来函手は双対鎖複体に対して定義され、超コホ モロジーの考えを精密化したものとなる。これらの定義により、煩雑なスペクトル系列を用い て(完全に忠実ではなく)記述されるよりほか無かった式は劇的に簡素化される。
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