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参考
「数学をいかに教えるか」
前著三冊『数学をいかに使うか』、『数学の好きな人のために』、『数学で何が重要か』の続編。
感想
人の詮索
評者である私にとって、人の詮索は楽しみである。だからこの本を読んだ楽しみのほとんどは、著者が例を出している人の詮索である。 ただ、その詮索のための情報のかなりのところは、 本著者の志村が刊行した前著三冊にあるのではないかと思われる。 評者はこれらを持っていないので、残念である。
例の教授
さて、著者はどんな人を描写しているか。まず、p.030 から
1960年頃東大の三年生の代数の講義の第二学期を教えたことがある. 一学期は例の「実数論を一学期教えた」教授がやってその人が外国に行くことになったので,そのあとを私が引き受けたわけである.
ここで「例の」ということばが出てきているが、その先行事実がわからない。たぶん前著三冊にあるのだろう。
文化庁長官
次は p.035から。
ゆとり教育を言い出した人物のひとりはかつて文化庁長官であった.ある時ザルツブルクを訪れ,知人から Magic flute の切符をもらってそのオペラを観た. 少しも楽しめずに「何しろ台本がまずい」と言った.これは伝聞ではなく,本人が書いたことである.
その後著者はこの文化庁長官をコテンパンにけなしている。さすがにこの元文化庁長官はだれだか私にもわかる。もっとも、 「本人が書いたこと」を確認しているわけではない。
掛け算の順序
つぎに、掛け算の順序について書かれた項を見てみよう。
数学教育で昔からいろいろな場所に顔を出していて, 入門書のようなものをかなり書いた人がいる. ある国立大学の数学科の教授であったが, この人はどこかで使う目的で自分の教室での講演をテープか何かに吹き込んでいた. だから学生には教室で質問することを禁止した. それはそこにいた学生のひとりが私にした話である.
この人に関して見当はつくが、あやふやなのでわからない。その後著者は たぶんこの人が掛け算の順序についてうるさく言いだした連中の主なひとりだと思うがその点はっきりしない. いずれにせよそんなことを平気でする人間であった.
と続けている。
この「そんなこと」をいうのが何を指すのか、評者にはよくわからない。「教室で質問したことを禁止した」ことか、 それとも「掛け算の順序についてうるさく言いだした」ことか、ということである。 最初は教室での質問のことを指すのかと思ったが、 著者は「掛け算の順序についてうるさく言いだしたこと」を指すつもりだったと評者は思う。「いずれにせよ」 というのは、「連中の主な一人だと思うがその点はっきりしない」を受けていて、その一人であるか、ないかにかかわらず、 ということを表している。評者の結論はこうだ。掛け算の順序に意味を持たせることが愚劣だと思っている著者は、 気持ちは「そんなこと」を「掛け算の順序についてうるさく言いだした」ことに違いない。ただそれでは論理的には成り立たないので、 表向きは「学生には教室で質問することを禁止した」ことを指すようにもとれる表現を使ったのだろう。
無数の教科書を書いたアメリカ人
次に、誤った公式を教科書に書いたアメリカ人への言及である。p.071 を参照。
次の公式
∫∞−∞e(−xy)xnexp(−πx2)dx=(−i)nexp(−πy2)
がすべての n∈Z,>0 について成り立つ,と思ってそう教科書に書いた人がいる.前に注意した 「無数の教科書を書いたアメリカ人」で,あとの版では n=0,1 だけに直したようであるが.
上の式が n=2 以上でも成立するようにするには、エルミート多項式を導入すればよい。詳細は省略する。 なお、このアメリカ人は誰か、想像してみた。ひょっとしてこの人かなと思い、別口から調べてみたら、別のある人もそう思っているらしい。 (以上、人の詮索の項は 2017-12-02 に記す)
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